スーパービジョン・セッション(20120821)

<同じ言葉を使っているがその意味するところが違う場合、どのように対話をしていくのか>

心理療法のすべてが、当然「クライアントのために」その理論や実践があるはずである。しかし、その意味するところは違うであろう。その意味するところが違っているいても、双方同じ言葉で自分の理論なり、実践を説明されうる。そして、その実践は当然、異なっているものである。

ところが、心理療法の場合、ふたつの絵を実際に見比べると言うことはなかなか難しく、そこで何がおこなわれているのかについては、説明によって理解し、比較しなければならない。ウィトゲンシュタインの言う「直差しの定義」のように、これとこれは、違いますね、という手段が取れないと言うことである。

 

この時にどうやって、立場の異なる、そして、その実践も異なるカウンセリングについて話を進めていけばいいのだろうか?という問いかけをして、それについて議論しました。

この件について、スーパーバイザーのドナルドは、「人という存在がどのようなものであると考えるか?」という視点から対話を進めることができるのではないかと考えたようです。それは、人という自律し、独立した個であるという存在とみなすことはできないとみなす、ナラティヴ・アプローチとは異なった視点が見えてくるのではないかという、考えです。

 

<緊急派遣カウンセラーと勤務している私から、どのような話が聞きたいのか?>

日本人が知りたいと思うことは何となく想像できたりするのですが、NZ人のナラティヴ・カウンセラーが、被災者との関わりにおいてどのようなことに興味を示すのか聞いてみました。

・海外の人にとっては、Invisibleとなっている、本当のストーリーの窓になって欲しいと言うこと。そして、そのストーリーとは、「経験に近い描写」によるものであって欲しいとのこと。つまり、その人の経験を自分の言葉で記述したものであると言うことか。

・そして、ナラティヴ・セラピストとして、一連のことを、どのように説明するのかの描写。

・そのことについて、ほかのカウンセラーとの会話があってもおもしろいのではないかと言うこと。

 

 

今回は、NZのワイカト大学の喫茶店(The Station)で、オンラインではなく、実際にあって話をしました。時々はこのように実際に会うことも重要だと、改めて感じたところです。

何らかの形で、自分の体験を英語の論文にまとめたいと考えています。その集中力がきてくれる時を狙っています。

 

 

 

 

 

 

ロードオブリングのファンとしては、ホビットの冒険を楽しみにしています。