少しディスレクシアの気持ちが分かる

最近英作文に苦労している。まだ、全然自分の感覚がついてこないため、どんな文章がいいのか分からない。

 

また自分の中での感覚でしっかり理解できる文章でも、英語圏の人が読んだら不明瞭に見えることがたくさんある。そのため、英語圏の感覚に、自分の感覚を合わせて文章を書いていく必要がある。

文章を書くとは、何をどのように書くのかという点だけが注目されるが、何を書かないのかということも重要な要素である。

何かを書かないというのは、その部分は書かなくても伝わるという目測を持っているからできる。ところが、英語圏の感覚を理解するというのは、何を書かないと分からなくて、何を書かなくても分かるのかの感覚をある程度把握していくことでもある。

当然、英語圏の人びとの個人差も大きいので、一般論を導き出すわけにはいかない。

 

以前に、仕事柄、しっかり調べないといけないと思い、ディスレクシア(読み書きの障害)のある子どもの本をかなり読んだことがある。

その中で、ある子どもが誤字脱字を頻繁に繰り返すため、教師や親が修正していったときのことを思い出していた。ディスレクシアは、言葉のスペル(綴り)をうまく把握できない。いろいろな文字がごちゃごちゃになったりする。そのため、それを正しいものに修正されても、「自分では修正できないという感覚」がついてまわる。

それを繰り返さないように言われるが、その感覚がない以上、自分では確認できないのである。そのため、だんだん、文字そのものを書かなくなってく。書かなければ、修正されることも、指摘されることもないからだ。

そのような子どもが、ある時、自分の空想の世界を画用紙に書き始めた。空想の動物、空想の場所である。その名前も、空想の産物である。そのため、その子どもが綴った言葉が、「正しいスペル」なのだ。誰も、修正することもなく、誰も、指摘することなどできない。

その中で、その子どもが、アルファベットをどんどん利用できるようになる。そして、書くことになれていけるのだ。

 

自分も、自分の文章にあるスペルミスをよく分からない。ワードにスペルチェッカーに頼っている。ただ、「from」と「form」の違いのように両方とも正しい綴りである場合、このようなスペルチェッカーはうまく機能しない。

英作文に、なかなか苦戦している。今なら、ディスレクシア症状を持っている人の気持ちが少し想像できそうである。

英文を書き続ける場所をどこかに見つけよう。みんなに見てもらう前に、もっと練習が必要のようだ。

 

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