ときには邦楽を

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自分が聴く音楽は、ほとんどが洋楽。邦楽を聞くことは滅多にない。

作業しているときにも音楽をかけているので、自分の思考が乱されたくないという気持ちもある。なので、本当に集中したいときにはインストルメンタル。本当に集中しているときには音楽は聞こえないので、何をかけても同じなのだが、その状態にたどり着くまでの音楽が必要になる。

80年代の曲がお気に入り。自分の若いときにしみ込んだ曲は、ずっとシミとなって残っているに違いない。その音楽が安心してかけていられる。

かといって、新しい曲に興味がないわけでもない。その年に流行している曲も聴いたりする。好きになったりする。何度も何度もかけて見たくなる曲もある。

ところが、しばらくすると70−80年代に戻る。

90年代の曲ではない。その理由は思い当たるところがある。90年代、私は音楽を聴くことも余りしなかった。仕事、酒、遊びに忙しかった。特に仕事はめちゃくちゃに忙しかった。何かを鑑賞するという余裕がなかった気がする。

そのため、この時代に音楽をあまり聴いていないのだ。なので、懐かしいという感覚がない。

80年代の曲はどれほど聴いたのだろう? テープのウォークマンを持っていたけれども、そんなにいつも聞いていなかったような気がする。外で常に音楽を聴けるような状況ではなかった。

ただ、この時代の音楽は、すごいあこがれを持って、集中して聞いていたような気がする。聞いた量が少なくても、聞く姿勢が十分にあったのだろう。

 

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このような自分ではあるが、ときには邦楽をかけたくなるときがある。

いつかけたくなるのだろうか? あまりしっかりとした確証はないが、少し気分が滅入っているときかもしれない。

聞きたくなるのは、今では懐メロと呼ばれるような時代のものである。

興味深いのは、あまり聞いていなかったはずの邦楽がたいへん懐かしさを持って聞くことができるということであろう。

洋楽を聴き始めたのは、あこがれ。自分に強いて聞いてきたところもあった。昔は、歌詞なんて分からなかったし。

ところが、邦楽は、すっと自分の身体にしみ込んでいったのであろう。町で流れる曲、テレビから流れる曲、そのような機会でも十分だった。

その文化に根付いているメロディーを母国語で聞くということも大きい。

このような時には、日本の曲も悪くないと思う。歌詞に耳を傾けたくなる。これは、自分が日本人だと感じるときというのだろうか。

しばらくバックグラウンドでかけていながら、日本のメロディーに自分を晒しておく。少し気分に変化が出るのかどうかまではよく分からない。でも、自分にそのようなニーズがあるのだと認めないといけないだろう。

 

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私の友人に高校時代、音楽にはまったという人がいる。日本の音楽は、今でも演歌の影響を受けていると説明された。端的に言えば、演歌のこぶしのきいたチューンがミソなのだということである。

よく分かる気がする。

そのような音を聞きたいのだろう。子どもから思春期まで晒された感覚というのは相当大きいのだ。

今はしばらく、日本の曲に身を晒しておこう。

別に、劇的な効果があることを期待しているわけではない。

ただ、聞きたいということが自分の内なるニーズとしてあることに、気づいていることが大切なのだろう。

しばらくすると、80年代の音楽に戻っていくのだと知っていることも、健全なことだと思う。

今あるニーズを、今だけ満たすということ。それって、大切なことだと思うことにする。

この時には、しなければならないことをうまくこなしていけないことからの焦りは、忘れることにする。

 

TOKYO RAINBOW BRIDGE