「終末期と言葉 — ナラティヴ/当事者」

私は、ニュージーランドでナラティヴ・セラピーを学びました。そこで、自分なりにナラティヴについて理解を深めていったのです。

しかし、帰国後、どうやら日本ではずいぶんナラティヴ・セラピーの扱いや理解が違うことにずいぶん戸惑ったのです。そのことを、最初に痛感させられたのが、高橋規子さんと吉川悟さんが書かれた「ナラティヴ・セラピー入門」(金剛出版)でした。その後、何となくこの二人の文章を避けていました。

 

しかし、このような縁があるものだと思いました。高橋規子さんが亡くなられてから、高橋さんの臨床に触れることができる機会がありました。

 

この「終末期と言葉」では、いろいろなことを考えさせられましたが、やはり「友人Dの研究」について、ナラティヴとしての活動を見た気がしました。ナラティヴを勉強するものとしては、一度は読んでおきたいものです。私もこのような関わりができたらいいなと思いました。

また、小森さんがメールのやりとりで言葉を紡いでいますが、そのことについても、興味深く追わせて頂きました。

 

 一度、ゆっくり話をお聞きする機会があればよかったなと、後悔が残ります。おすすめの一冊です。

 

 

終末期と言葉
終末期と言葉 高橋 規子 小森 康永

金剛出版 2012-06-08
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 語られ,書かれた世界が人を規定する一方で,しかしそこで語り,書くことこそが世界を拓く。  2011年11月,食道がんでこの世を去った気鋭の心理臨床家・高橋規子と,精神腫瘍医(サイコオンコロジスト)小森康永のメール往復書簡を中心にまとめられた本書は,刻々進行するがんと「終末期」の時間を縦糸に,「当事者」が語ることの可能性を横糸に織り上げられた一つのナラティヴ実践である。  セラピスト・高橋規子の支援から協同(コラボレーション)へのラディカルな転換は,本書に収められた遺稿「友人Dの研究」にひとまずの結実をみるが,しかし自らの「終末期」の構築を通してその先へと読者を誘う。「言葉の力」への信頼が駆動するナラティヴというプロジェクトにおいて,死にゆく人に/は何ができるのか。本書はその試みである。

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