「人生に何かを期待するのは間違っている、人生があなたに期待しているんだ」

第二次世界大戦時に、ドイツに捕虜として捕らえられていた精神科医にフランクルという人がいます。この人は、捕虜としての体験をもとに本を書き、人生上の困難についていろいろ語っていますので、ご紹介します。

すなわち、われわれが人生から何を期待できるかが問題なのではなくて、「むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。(中略)すなわち われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われたものとして体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時間問いを提出し、われわれはそ の問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が 各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を負うことに他ならないのである。(フランクル、1961、183頁)」

このような状況について、一人一人を自分と言う物語の俳優にたとえています。そして、俳優は、王様とか乞食とかの、その地位や名誉によって評価されるので はなく、どのようにその役を演じたかによって評価されるのであるとしています。この発想は力づけられるところがあります。現在において、人の評価は、学校 時代の成績に始まり、学歴、肩書きなどによって決まってしまうかのように感じられます。しかしながら、その人の人生をどのように演じるかが大切であるとい うことであれば、職種・学歴・肩書きは意味をなさなくなります。これは実際にドイツ強制収容で起こった話です。「最後の最後まで問題であり続けたのは、人 間でした。『裸の』人間でした。この数年間に、すべてのものが人間から抜け落ちました。金も、権力も、名声もです。もはや何者も確かでなくなりました。人 生も、健康も、幸福もです。すべてが疑わしいものになりました。虚栄も、野心も、縁故もです。すべてが、裸の実存に還元されました。(フランクル、 1993、13頁)」

フランクルの文章を読んで自分に問われていることは、大きな事であると感じます。しかし、不登校、引きこもりという問題が人生にあるということは、フラン クルの言葉からすれば、「本質」ではありません。本質でないものができないと悲観することはないと、フランクルの本を読んで感じました。

参考文献

V.E.フランクル「夜と霧 - ドイツ強制収容所の体験記録」霜山徳爾訳、みすず書房、1961年
V.E.フランクル「それでも人生にイエスと言う」山田邦男・松田美佳訳、春秋社、1993年

 

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