ナラティヴ・セラピーの文献を読んでいくと、ディスコース・アプローチ(Discursive approach)も含まれていると理解できます。
ディスコースとは何かについては、簡単に次のページで説明しています。
最近ナラティヴに興味を持っている人との話の中で気がついたのですが、ディスコースは私たちにシナリオを用意してくれるのですね。ある特定のセリフに、ディスコースは正統性を与えてくれると言うこともできます。
たとえば、ある特定の場面で何を言うのかについて、ある程度の選択肢があるにしても、自由に物事を言うことはできません。葬式のように、長く文化的な影響がある場面ほど、選択肢が決まってくるでしょう。
また、教員が「何を言うのか」は、どの教員もある程度画一的なものとなってきてしまいます。それは、教員がその場で何を言うべきかについて、感じ取っていくと言うことなのでしょう。逆に、そのシナリオに沿わない話をしたいときには、とたんに歯切れが悪くなり、言いにくそうな調子で、ひそひそ話となります。
親も同じような側面があります。
また、店の店員が何を、どのように、どのタイミングでいいうのかについても、見事に画一的です。海外に出てみると、いろいろな対応の仕方があるとすぐ理解できます。そして、日本の店員がどれほど同じようなことを言っているのかも分かります。
ユニクロでズボンを購入し、裾上げをしてもらったとき、店員が「このように仕上がりましたので、ご確認ください」と私に尋ねてきました。私は、その店員に、「どうやって確認したらいいのですか?」と尋ね返したのです。だって、見ても分からないですし。私の質問は、その店員が持っているシナリオには含まれていなかったのでしょう。少し動揺しているのが分かりました。その時、一緒にいた実の弟も、この兄貴はいったい何を聞くのだろうかという目で見ているのも感じ取りました。
つまり、店員も客も元々ある程度決まっているセリフをやり取りしたいと言うことなのでしょう。そこを外れると、変なヤツということになってしまうのです。
私たちは社会の場で、何らかの役割を演じているのですが、そのためにはシナリオが必要となります。ディスコースは、いろいろなシナリオを自身で書いているというよりも、社会に存在するシナリオの中から、どのシナリオがOKなのか、選別しているということになります。
空気を見事まで読む日本人は、このようなシナリオにも敏感なのでしょう。同じようなことを言い始め、同じようなことを言わない人を敵視するのです。
そして、支配的なディスコースが認めたセリフだけが、耳に入ってくる確率が高くなると言うことですね。これを、再生産と呼べたりするのでしょう。
どのような人も、同じようなことを聞き続けるのは飽きるし、うざいので、少し変わった言葉を聞きたくなります。そのために、支配的なディスコースを外れた人の言葉に耳を傾けることもできるのでしょう。しかし、その人の言葉に、ディスコースがOKを出してくれない限り、自分では使えないと感じてしまいます。つまり、その言葉を使うときには、すでに場面に組み込まれたセリフになってしまっているのです。そのため、再生産という状態を抜けていないと言うことですね。
ディスコースがシナリオの選別をしているという視点でもっと考えてみたいと思っているところです。
ユニクロの出来事のことですが、後日談があります。ニュージーランドに在住の日本人の友人が日本に帰って、ユニクロでズボンを買ったのだそうです。そして、裾上げをしてもらったそうです。その時に、店員がまさしく同じことを聞いてきたそうです(私に対応した店でも、店員でもないですよ)。そして、その友人は「どうやって確認したらいいのですか?」と聞いたそうです。
ズボンの裾の確認の仕方をみんな知っているはずないとおもうのです。
Source: bringatrailer.com via Ken on Pinterest