東京大学教授の安冨歩氏が書いた『原発危機と「東大話法」—傍観者の倫理・欺瞞の言語』が話題になっていると友人から聞いたので読んでみました。
まず、安冨歩氏が指摘しようとしていることに対しては、大変理解できるし共感できるものであると感じました。
ところが、その文章の書き方について、正直な言い方、私は動揺しました。あまり論理的に積み上げることなく、結論を、それも極端な言い方で言い切ってしまうことについての懸念でもあります。東大の教授がこの程度の論理的な積み上げしかできないのだろうか。
確かにいろいろな勉強をされているようで、広範囲な文献を参照しようとしています。しかし、「○○だから、××である」という結論が、早急に感じます。また、感情をこれほどまで多用していいのだろうか。論理的な矛盾を指摘するのであれば、論理的な説明をする冷静さを文章に感じたいのです。しかし、原発危機の後とあって、非常に感情的に熱された状態で書かれた文章表現が随所にあります。
このような「熱さ」は、原発危機の直後であれば読むことができるけれども、時代を超えたら、理解されにくいのではないだろうか。本人の冷静さを取り戻した後で、自分の文章を読んで、落ち込むことがないといいのですが、、、
お金を払う価値があるかどうかは、私は分かりません。図書館などにあれば、読んでみてください。
原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語― | |
安冨 歩
明石書店 2012-01-07 |