「英語と日本語で暮らす子どもたち」

ダイバーシティ・カウンセリング・ニュージーランド主催による日本語セミナーシリーズにおいて、『英語と日本語で暮らす子どもたち』というタイトルで、バーナード紫さんに講演をしてもらいました。

いろいろと大切な問題について語ってくれたと思いました。以下は、バーナード紫さんの講演内容ではなく。私が思い、感じたところです。

日本に戻ることを前提とするのかどうか

海外で暮らす親がどの程度の日本語を子どもに求めるのかについて、将来その子どもが日本に戻ることを前提としているのかどうかということが、大きな要因になっているようです。

日本の学校では、年齢をずらして編入することが前提となっていないため、その学年に必要とされる日本語力を身につけるという目標設定は、たいへん厳しいものとなりそう。

 

親がどの程度を求めるのかについて

オークランドで保育士をしている方が発言してくれましたが、自分の子どもにどの程度日本語を求めるのかについては、人それぞれであると言うことでした。ただ、ニュージーランドの場合、多くの親が、日本に帰ることを前提としていないという印象を持ちました。

 

就学前はある程度なんとかなりそう

参加者からの話では、就学前には日本語がかなり優位な位置を占めて言語の発達がなされているようです。そして、日本語の学習そのものもそれほど苦ではないということでした。

しかし、学校に入るとさまざまな要素が絡んできます。ピアプレッシャーと言われるように、他の友人のことを意識し始めることもあるようでした。この時期に、親としてどの程度子どもに日本語の利用を要求するのかの悩みがありそうです。

 

バイリンガル

バイリンガルの議論において、生活している社会的な場面で利用されている言語を複数習得することと、社会的に必要ではない言語を習得することは、しっかり区別しないといけないと思っています。

日本人にとってのバイリンガルの問題とは、私たちが生活している社会で利用されていない言語をいかにして習得できるのかということなのです。

日本において、ほとんど利用されない英語を習得することに成功した人の数を想像してみてください。あれだけ、多くの人が望み、時間をかけて学習しているにもかかわらず、「使い物になる」英語力まで達することができた人は限られています。

ニュージーランドの社会で日本語が利用されることはありません。ほんのわずかな単語が、時々使われる程度です。

そのような状況で日本語の習得をどの程度子どもに狙えるというのでしょう。

 

アイデンティティの形成

ニュージーランドにいて、習得できる日本語のレベルに楽観視することはできないでしょう。そのため、人によっては挫折としてか感じることができないかも知れません。

しかし、日本語に接することのできた経験は、「無」であるはずがありません。何らかの影響を与えているはずです。このことに気づいていることがたいへん重要になるような気がしました。

 

研究がされていない!

紫さんからの話ですが、この領域のリサーチがあまりにも少ないようです。

私はたいへん興味があるところですので、是非もっと研究して欲しいところです。また、日本における英語習得の研究ももっと知りたいと思っています。このような研究において重要な点は、たぐいまれな言語能力を持つ人のことを知りたいのではなく、平均的な人がどのようにしたら英語を習得できるのかと言うことです。そうすれば、英語という勉強ももっと違った質のものとなっていくのではないかと思います。

 

 

a kanji wall