本書自体はそれほど時間をかけることなく読むことができたのですが、その内容についての感想が自分の中で言葉としてうまくまとまりませんでした。なので、しばらく、なぜ本書を読んだ感想をうまく表現できないのだろうか、と考えていました。
まず、考えられるのは、この書物で扱っているナラティヴ・アプローチの広がりに、私がついていけていないということです。
この点は奇妙な感じもします。ナラティヴが心理療法だけでなく、調停、ソーシャルワークなどにも応用されていっていること自体には、何の矛盾も感じずに受け入れていたからです。
それでは、この本で私の理解がついていけていない部分は、どこなのでしょうか。それは、たぶん、ナラティヴ・アプローチの、他の心理療法への応用に関することになるのではないかと思います。
「ナラティヴ・セラピー」という用語で何を意味するのかの違いがくみ取れる気もします。
この書物では、ナラティヴ、つまり物語を利用するという非常に包括的な概念として「ナラティヴ・アプローチ」と表現していると見るべきでしょう。そして、私のようにニュージーランドで「ナラティヴ」を学んだものにとっては、「ナラティヴ」とは、マイケル・ホワイトとデイヴィッド・エプストンの貢献によってある程度のまとまりになった技法を意味するため、たいへん狭いものを意味しているのです。
このようなナラティヴ・アプローチのあり方自体を受け入れながらも、私が理解してきた「ナラティヴ」とどのようにすりあわせをおこなったらいいのかについて、いろいろと考えていく必要がありそうです。
N:ナラティヴとケア 第4号――心理的支援法としてのナラティヴ・アプローチ | |
森岡 正芳 山本 智子 野村 晴夫 廣瀬 幸市 坂本 真佐哉 児島 達美 山口 智子 角山 富雄 真栄城 輝明 田淵 和歌子 森 茂起 門池 啓史 松尾 純子 白井 利明
遠見書房 2013-01-28 |
本書自体はそれほど時間をかけることなく読むことができたのですが、その内容についての感想が自分の中で言葉としてうまくまとまりませんでした。なので、しばらく、なぜ本書を読んだ感想をうまく表現できないのだろうか、と考えていました。
まず、考えられるのは、この書物で扱っているナラティヴ・アプローチの広がりに、私がついていけていないということです。
この点は奇妙な感じもします。ナラティヴが心理療法だけでなく、調停、ソーシャルワークなどにも応用されていっていること自体には、何の矛盾も感じずに受け入れていたからです。
それでは、この本で私の理解がついていけていない部分は、どこなのでしょうか。それは、たぶん、ナラティヴ・アプローチの、他の心理療法への応用に関することになるのではないかと思います。
「ナラティヴ・セラピー」という用語で何を意味するのかの違いがくみ取れる気もします。
この書物では、ナラティヴ、つまり物語を利用するという非常に包括的な概念として「ナラティヴ・アプローチ」と表現していると見るべきでしょう。そして、私のようにニュージーランドで「ナラティヴ」を学んだものにとっては、「ナラティヴ」とは、マイケル・ホワイトとデイヴィッド・エプストンの貢献によってある程度のまとまりになった技法を意味するため、たいへん狭いものを意味しているのです。
このようなナラティヴ・アプローチのあり方自体を受け入れながらも、私が理解してきた「ナラティヴ」とどのようにすりあわせをおこなったらいいのかについて、いろいろと考えていく必要がありそうです。