ナラティヴ・セラピーの質問

質問に対するこだわり

ナラティヴ・セラピーの面接では、セラピストの発語はほぼ質問の形式を取ります。質問と言っても様々なものがありますので、どんな質問でもいいというわけにはいきません。その質問は、セラピストの職業的な要求からのものではなく、相手が自分で話してみたいことを見つけ出すようなものとすべきでしょう。そして、その質問は、相手が自分のことを常に思っていることを繰り返し離させるようなものではなく、自分のことを違ったふうに語るように促すものなのです。そして、過去のわかりきったエピソードを回想させるのではなく、過去の忘れてしまっていた、あるいは重要性を見いだせなかったエビソードを探索する旅に招待するようなものなのです。

このような質問をしなければならないと聞いても、一体どのようにすればいいのか全く見えてこないと思います。私のワークショップでは、できればそのような質問をすることは可能であり、セラピスト自身の中にどのようなベースを作っていけば、このような質問が生まれてくるのかを検討していきます。

質問という形式を取ることによって

それではなぜ質問なのでしょうか? それは、会話をしっかりと続けるための最良のツールであるからだと思います。質問として投げかけられたのであれば、相手はその質問に対しての返答を用意してくれます。そして、その返答をしっかりと受け取り、その返答に対する質問を返すことによって会話が続くのです。

このような形式を一見想像すると、クライアントが尋問を受けているかのようなイメージを抱く人がいるかもしません。ナラティヴ・セラピーの会話が、相手に尋問を受けているように感じるようにさせるのであれば、その価値はないでしょう。それよりも、質問を受けることによって、相手が自分自身のことに、自分が語る物語に真摯な興味と関心をもっていることが伝わるように心がけます。

この興味・関心・好奇心(今回のワークショップの参加者が、これを「3K」だと教えてくれました)が意味することも、セラピストによっていろいろに解釈される可能性を秘めています。相手の話に3Kを抱くことは、ゴシップ話に首を突っ込むぐらいにしか想像できない人もいるのかもしれません。私がここで意味するのは、相手にとって、この3Kがないと話す気にもならないような、人と人がコミュニケーションを取っていくうえで不可欠であり、人と人が信頼関係を作っていくうえで必要なものなのです。ゴシップ話に興味はありません。

質問でなければ声明文となる

セラピストが発する言葉が質問でなければ、それは声明文となります。「苦しかったですね」「大変だってですね」「◯◯は、△△なのですね」というような形式はすべて声明文です。それは、セラピストの意味の表明であり、相手に対するセラピストの視点を提供することです。読点で終わる文章(丸で終わる文章)は、その時点で相手に話すタスキを渡すことになりません。そこで終わるのです。そして、そこから話し始めるためには、別の話題を振るか、クライアントの発語を待つしかないのです。この時点の沈黙は、間が悪いものとして感じられるでしょう。

そして、傾聴を基本としているセラピストであればなおさらですが、声明文を伝えることに対する矛盾に気づくべきでしょう。たとえば、「それは、苦しかったですね」というとき、相手が「苦しい」という言葉で自分の体験を描写したくない可能性があるときに、その描写をセラピスト側から提供することに対して、その場に不協和が生じる可能性があるということです。

ナラティヴ・セラピーでは、「それほどのことがあったのとお聞きしたのですが、ご自分の心境に対してどのような表現が当てはまるのか教えてもらえないでしょうか?」、「今の話をお聞きして、さぞかし苦しかったのだろうかと想像しているのですが、ご自分の状況にとって適切な表現でしょうか、それとも他に適切な表現があるものでしょうか?」となるのでしょう。

質問を続ける訓練

ナラティヴ・セラピーをワイカト大学で学んでから、カウンセリングという会話の場面でどのように質問したらいいのかについて、ずっと考えてきました。

これは、心理臨床家が最優先事項とする検討項目とは少しずれているのかもしれないと気付きました。主に、相手をどのような人だとか、相手の問題はどこからきているのかとか、問題はどのように維持されているのかというような、専門家としての理解や解釈を磨くということが多くの主題となりそうです。ところが、ナラティヴのテーマは、どのように質問を返すのかなのです。

このことが焦点化されるとき、カウンセリング場面だけでなく、いたるところで会話をスムーズに進められる可能性があるとさえ思っています。適切な質問を受けて、感情を悪くする人はめったにいません。それよりも、この質問を待っていましたとばかりに話し始める多くの人々に遭遇することができるでしょう。

そのような質問は多くの場合、単純です。「今の話をもう少し教えてもらえないでしょうか?」「それは興味がありますね。もう少しお聞きしてもいいのでしょうか?」「それって、どういうことなのですか?」などがすぐに思いつきます。

ワーク

今回このような質問をトレーニングして上で、まずは質問のレパートリーを増やすためのワークを行いました。質問の質よりも、まずは、どれほど多くの質問を返すことが可能かについての検討です。

一人がクライアント役となり、3名ほどが集合体として一人のセラピストになります。

クライアントが自分の問題を提示します。その一つの区切りが来たら、そこで一旦時間を止めます。そして、セラピストたちはどのように返すことができるのかできるだけ質問を生成します。どのような視点からその質問をするのか、なぜそのことを聞きたいのかをその場で提示されることになります。そこでは、一つの練りに練った一つの質問ではなく、できるだけ多くの質問をつくることが大切となります。

この過程で、カウンセリングの会話にどれだけ多くの方向性が広がっているのかを気づく機会がになればいいなと思っています。ところが、セラピストはたったひとつの質問しか選択することができません。ここで示唆されるのは、数多くの会話の方向性の中からひとつしか選択できないという現実です。

さて、ひとつの質問を選び相手に返します。そして相手が帰ってきた返答に対する質問をまた考えていくのです。つまり、カウンセリングプロセスの時間軸を大幅に拡張(遅く)しながら、ゆっくり時間をかけて、クライアントの発語を検討する機会を作り、その返答の仕方を練習する場なのです。

この過程で良いと思うのは、一人のセラピストがその過程の責任を負う場ではないため、比較的安全にこのワークを進められることです。

また、クライアント役の前でこの質問をするためのディスカッションをすることは、トム・アンデルセンのリフレクティングに似たプロセスを生じさせるので、クライアントにとっても安全なプロセスになるということです。

次は、質問の質をどのようにして向上させるのかのワークを考えていきたいと思っています。

Café Nicola, Lisboa