格差社会,環境問題,グローバリゼイションなど資本主義を含む既成の社会システムについて,絶望的な気持ちしか持つことができないでいました。リソース(資源・資産)のアロケーション(配分)をどのようにしたらいくのであろうと自分なりに考えたりしていました。このアロケーションの必要性は,いろいろな障害を持った人々を前にして,特に痛感するものです。また,インドの友人がいるのですが,そのインドの社会状況を前にして,見向きもされないような人々にたして,アロケーションをするのはどうすればいいのかと考えざるおえなかった状況もあります。
そのような中で,柄谷行人の次の2冊本に出会いました。
可能なるコミュニズム 柄谷 行人 太田出版 1999-12 |
世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書) 柄谷 行人 岩波書店 2006-04 |
この本の提言している可能性を少し自分なりに検討していきたいと今思っています。柄谷の表現を借りれば,社会の癌細胞のようなものを探しているといっていますが,私が癌細胞のように,グローバリゼーションや資本主義のカウンター・メジャーとして,何かしていきたいという思いがあります。
そのために,では実際何をしていくのか? 生産正気協同組合や地域通貨制度LETSのようなものがほんとうにそのカウンター・メジャーとして機能するのかも想像できないでいるし,個人としてどのようなことをできるのかもうまく想像できないでいます。
ただ,世間から隔離された状態で自給自足という生活について,魅力を持ち続けてはいますが,そのことから既成システムへのカウンター・メジャーになるとは思えません。
現在ある社会システムの矛盾点をこの角度から見ておくことは必要であると思います。おすすめ本です。