ADHD医学モデルへの挑戦 − しなやかな子どもの成長のために

本書では、ADHDという名の病気について、医学モデルに対する疑問、限界を提起している。

ここで、医学モデルとは、次のように説明している。

ADDとADHDを正式に診断できるのは医師のみであり、症状を抑えたり和らげたりする薬を処方できるのも医師のみである。この事実が、ADDやADHDのとらえ方に大きく影響しただけでなく、中枢刺激薬の処方件数の大幅な増加にも関係した。医学モデルでは、病気(あるいは障害、機能不全)の有無という二元論が大前提となっている。それは個人の身体状態や、客観的に観察・評価できる体内の生理学的プロセスに着目したモデルなのだ。そのため、障害のみの着目した医学モデルは、適用できる範囲が非常に限られている。たとえばこのモデルでは、心と体を往々にして微妙で複雑な相互関係や、情緒的・社会的体験が体の機能と健康に与える影響などは、考慮されていない。(9頁)

その医学モデルでさえ大きなジレンマを抱えているとしている。

ADHDには一般的に認められる生物学的なマーカーが存在しないことである。(中略)今のところ、ADHDを診断できる決定的な検査法は存在しない。(21頁)

日本でも学習支援というスキームが立ち上がったので、ADHDという診断名を持たされた子供たちと接する機会が多くなってくると考える。それは、ニーズが診断名を増やしていくからである。このADHDとはどのような存在であるのかを理解するためには、このADHDの「曖昧さ」を認識しておく必要があると思われる。

そして、ADHDという診断にいたってしまうような状態の子どもに対しては、決して薬物治療だけでは不十分であるという認識をしっかりと持って欲しいと思う。

それでは、どのようなアプローチがあるのかという点についても考察しているので、是非一読をおすすめしたい。

ただ、支援するためには、たとえば学校でもそれなりの柔軟性を求められる。この柔軟性を確保できるかどうかという点は、ADHDという診断にいたってしまう様な状態を抱える子どもを支援していく上で、不可欠なことなのであるが、一番難しい所である気がする。

注意資源が限られた生徒にとって、従来の「チョーク・アンド・トーク(教師が黒板に書きながら生徒に説明する授業)」式の授業(中略)への回帰はまさに悲劇であり、こうした子どもたちには「直接指導」と呼ばれる指導法が適している。

このようなことをひとつひとつ取り入れていく姿勢が求められよう。そうなると、ADHDは、診断を受けた子どもとその家族の問題ではなく、受け入れる学校・社会の問題なのであるということをしっかりと自覚すべきである。

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田中 康雄 森田 由美

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