教育の「55年体制」

朝日新聞の社説「 新政権の日本―「学校自治」に変えてゆこう (2009年10月19日)」という記事が掲載されています。 http://www.asahi.com/paper/editorial20091019.html#Edit1

この社説によれば、教育の「55年体制」とは:

文部科学省が教育委員会を通じて、はしの上げ下ろしまでコントロールする。学校は何も決められない。一方で文科省、教委、学校のどこが最終的に責任を持つかはあいまい――。

極論すれば、これが長く続いた教育の「1955年体制」だった。

戦後教育は、学校が軍国主義に取り込まれた反省から出発した。1947年にできた旧教育基本法は、政治や官僚機構の介入に歯止めをかけようとした。教育行政は、住民が選挙で選ぶ教育委員会に委ねられた。

だが、この精神は早くから骨抜きになる。自民党結党の翌56年、教育委員公選制が廃止され、かわって地方教育行政法が制定された。文部省が「指導・助言」という形で実質的に教委を縛る仕組みが、できあがった。

このために、教育の危機が進行していたという:

上意下達の教育行政は、第一に深刻な「教師の危機」をもたらした。

ピラミッド型組織に組み込まれ、指示に振り回される。生徒を座らせ、プリントをやらせるだけで精いっぱい。「子どもに向き合う時間がとれない」と悲鳴が上がる。燃え尽き、辞めてゆく教師が増え、サラリーマン化した教師の質の低下も指摘される。

子どもたちはどうだろう。

きめ細かな学びが必要なのに、全国一律の物差しでの学力競争に駆り立てられる。近年は、規律や規範が強調されるようになった。

「疲れを感じる」「自分はダメな人間」とアンケートで答える中高生は、米国や中国に比べ際だって多い。

この辺を変えるためには、「核となるのは、親や地域が学校づくりにかかわる学校理事会だ。  地域の実態や子ども一人ひとりに合わせた教育を、ひざ詰めで話し合う。学校行事からカリキュラムの組み立て、教科書選択、校長の人選まで、信頼関係の中で決めてゆく。教師の創意工夫を尊重し、質の高い実践が生まれるよう支援する。そうした「学校自治」が実現するならば、学びの場は大いに元気を取り戻すはずだ」ということであるが、高校入試や大学入試の問題(学力偏重)や、特別支援の体制などを国家として、検討しなければ、地域でいくら頑張っても難しいと言うことに気づかないのだろうか?