宮城県緊急派遣カウンセラーとしての視点

私が入っている高校のPTA会報のために、記事を書きました。全文紹介しておきます。

 

「スクールカウンセラーの視点」
宮城県緊急派遣カウンセラー 国重浩一

 

 2011年3月11日の大地震とそれに続く大津波は、その災害規模をどのように表現したら適切なのか判断できないほどの被害をもたらしました。過去に類を見ないほどの出来事でしたので、人びとにどの程度の影響を与えるものか予測できませんでした。そのため、臨床心理士である緊急派遣カウンセラーが学校に配置されることになったのです。私は、昨年の5月から7月と、今年の5月から一年間、本校を担当させて頂いています。私の出身は東京ですし、昨年の3月までは鹿児島に住んでおりましたので、東北にはほとんど縁がありませんでした。私にとって、3月11日は東北とのつながりを持てるきっかけとなりました。

 昨年の派遣業務の契約が終わってから、今年、また気仙沼に戻りたいという気持ちがありました。昨年三ヶ月弱、学校に滞在して見させていただいた、生徒や教員の姿は、たいへん立派なものであったと言っても、言い過ぎではないと思いました。多くの生徒が被災しているにもかかわらず、学校では、普段と変わらない姿を見せてくれていたのです。また、学校の先生たちも、日常の学校生活を生徒たちに提供すべく、努力していました。保護者の生活ぶりについては、校内での勤務が主であったため身近で見ることはありませんでしたが、保護者のみなさんも、日常の生活を取り戻すために、踏ん張ってこられたのだと、生徒たちの話から想像できました。このような様子を見て、人が持つ力のすごさに一種の感動を覚えたのですが、同時に、早く日常が戻ってこないと、だんだん疲労がたまってきてしまうのではないだろうかという危惧を持ちました。いずれにしても、短い期間では、判断できないと考えたのです。そのため、今年も、こちらに滞在させていただくことになりました。

 

<ストレスと身体の反応について>

 まずストレスのことついて簡単に説明します。私たちは強いストレスのさらされると、全身で反応します。全身での反応とは、体内で生成されるホルモンのバランスが変わり、必要な神経系が活発になりますので、体内のいたるところに変化が出るということです。つまり、気持ちだけのことではないし、自分では大丈夫と思っていても、体には変化が生じているということです。これを緊張状態、言い換えれば、臨戦状態とみなすことができます。今回の災害を経験した人すべてが、この状態で震災直後を乗り切った、と考えています。この時は、体内のバランスが相当極端な状態になっていますので、その副作用も当然あります。たとえば、不眠、食欲不振、身体症状などです。これは、このぐらいの副作用があったしても、とりあえずその場を乗り切らないといけないという判断を、みなさんの身体が下したとみなすことができます。

 その後、この状態は、日常生活が戻ってくるに従って、緊張が徐々に緩んでいき、普段の状態に戻ってくるべきものです。ところが、今回のように震災の規模が大きく、特に日常の生活空間を失った人びとは、緊張状態が長引いてしまうことになります。そのため、この状態が慢性化し、体調に不調を常に感じていることにもつながる可能性があります。

 震災そのものは、後生のために語り継いでいかなければいけないものですので、忘れるべきことがらではありません。しかし、どんなにたいへんな体験をした人も、月日が経つにつれて、その体験の生々しさが徐々に薄らいでいくことが、望ましい反応です。出来事としてはしっかりと覚えているが、まぶた映る光景に鮮明さが欠けてくるという表現もできるでしょう。

 ただ徐々に薄らいできたとしても、出来事の記憶が何かをきっかけにどっと出てくることがありえます。そのようなときには、感情の不安定さや、いろいろな身体症状が出てきますので、是非、慌てず、たっぷりと睡眠を取り、自分の空間で、自分の時間を過ごしてください。自分に「まあここまで走ってきたのであるから、少し休みも必要だろう」と自分に言って欲しいと思いますし、周りの人もそのように声かけて欲しいときです。

 また、震災から一年半以上たった今の時点で、私がストレス要因として気にかけているのは、日々の暮らしの中にあるもので、日々感じているようなものです。震災の余波によって、多くの人びとのそれまでの営みに影響がでました。とりあえず、落ち着いてきたとはいえ、それは、今まで慣れ親しんだものでありません。また、将来の見通しが立っていないところもまだまだ残されています。このようなストレスは、ひとつひとつを見れば決して決定的なものではないと感じるかもしれません。しかし、日々の中で繰り返される、逃れることのできないストレスは、人に大きな影響を与える可能性があるのです。

 

<高校生への影響について>

 そして、人生でもっとも多感で、不安定な時期に震災を経験した高校生は、どのようにこのことを理解しているのでしょうか。多くの高校生が、今回のことを冷静に受け止めているように、私は感じています。それは、防災教育の一環で、小学校から地震や津波について理解してきたことが、ひとつの要因であると考えています。地震が起こったときに、津波を避けるために避難しなければいけないと、すぐに考えることができた生徒たちがたくさんいました。

 一方で、今回の特殊な状況が、思春期特有の悩みを緩和してくれることはないようです。大人も自分が思春期だった頃のことを思い出すことができれば、そこには、いろいろな思い、うまくいかない葛藤、対人関係の悩み、自分という存在をもてあますことなどがあったことに気づけるでしょう。被災後であるからといって、この時期の悩みがそれほど変わるわけではなく、周りとの人間関係がやはり大きな問題となっているようです。ともすれば、震災のことよりも、よっぽど大きなことと感じている場合もあるのです。

 自分の子どもが悩んでいるようでしたら、震災のことだけでなく、幅広い原因を考えていきたいところです。そして、こちらも焦らず、落ち着いて対応することが大切になります。問いかけても話してくれないこともありますので、そのようなときには、話せるときに話をして欲しいことを伝えてください。少しでも言葉を引き出したいときには、気持ちのことはうまく伝えられないことがあることを認め、それでも、どのような言葉が出てくるのだろうか尋ねてみることもできます。本人の口から出た言葉は、本人たちが表現できる範囲から選択された言葉です。その言葉の是非を判断する前に、受け止めてあげたいところです。気をつけないといけないことは、その言葉は、その時に思いついただけのものかもしれないし、うまく表現できなかったものかもしれないということです。そのため、その言葉だけをとらえて、本人たちを判断してしまわないようにしなくてはいけません。いずれにしても、この思春期を乗り切る間、つきあってあげるぐらいの気持ちを持って欲しいところです。それは、一回話をして、短期的に解決しようとする姿勢とは、異なるのです。

 

<カウンセリングを活用してみてください>

いろいろなメディアの報道で、この震災が人に与える影響がどれほど厳しいものなのか、何度となく聞いていることでしょう。また、今回の被災した当事者として、共感できるものもあると思いますが、「自分の経験とは違うようだ」と感じていることもあるのではないでしょうか。そもそも人の体験は、人それぞれのものであり、ほかの人と自分の感じ方、理解の仕方、意味づけなどが異なっているものです。たとえ同じ場所にいて、同じものを見たからといって、同じ体験はないのです。

 震災関係の報道が「がんばろう」という連呼から、「復興」という言葉に置き換わってきていますが、そのような気持ちにまだなることができない人びと、自分だけ取り残されそうになっている感覚のある人びと、震災で起こったことをどのように理解していいのかまだ分からない人びとなどが、当然のことですが、まだいるのです。このようなひとりひとりの異なった話に耳を傾けていくことが、カウンセラーの職務であると考えています。

「カウンセリング」という言葉は、何かかしこまったことを想像させてしまいますし、しっかりとまとめて話ができないといけないのではないかという気持ちを起こさせるかもしれません。しかし、カウンセリングは、とりとめのない話、行き先のない話、結論のない話、確信のない話をするものです。震災のことにかかわらず、心配なこと、不安なこと、気がかりなことは、人に話すことによって、ある程度整理することができます。「相談」という改まったものでもなくてもかまいませんので、気軽に話に来てください。私は東北の人間ではありませんので、気仙沼で生活している幅広い人たちから、いろいろな話をお聞きしたいと考えております。そのようないろいろな話が、私の相談業務における理解度を深めていってくれるのです。協力して頂けることが助けになります。