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被災地を見て

被災地を見に来て、帰ってから、周りの人に「どうだった?」と問われてなんと伝えますか?とこちらに来た人に尋ねてみた。

宮城県北部で津波の被害があったところの印象が強かったのであろう。「何もないとしか言えない」という答えが返ってきた。

 

この言葉を聞いて、何もない風景を何もない風景であると見ていない自分に気づくのである。私は少なくとも、何もない風景のところにあった「がれき」(この言葉を好まない人もいるのは分かるのですが、ほかに言葉が見つからないので使います)を、私は脳裏の片隅に持っている。その時の風景を。

そのような私にとって、「何もない」空間を見て、「とりあえず片付けられた」という表現が一致したのである。

 

しかし、昨年度滞在したとき、地物と人と話をしていて、私の脳裏にある風景に欠けているものがあると気づいたことがあった。それは、津波が襲う前の町並みである。地元の人たちは、「がれき」のある風景に、以前あった町並みを重ね合わせる風景も持っているのだと、話をしていて気づいた。

 

「何もなくなってしまった」という表現は、以前あった町並みの風景を思い描ける人にとっては、適切な表現となり得るののかもしれない。

 

何気ない表現の中に、同じ風景を見ながら、何を見ているのかの違いが表れることもあるのかもしれないと、思ったところである。