「あなたへの社会構成主義」(ケネス・ガーゲン著 ナカニシヤ出版)を大変興味深く読んでいます。
ガーゲンにして大変わかりやすい言葉で綴った文章ですので、社会構成主義への入門書として最適であると思いました。これからも引用などで、重宝しそうです。
さて、この本で私がまだ知らなかった概念がいくつかできたのですが、そのひとつが「サイボーグ」です。石ノ森章太郎のサイボーグ009のことではないです。こちらのテーマソングは私が好きだったひとつですが、、、(別に関係ないですけど)
「ある部分は人間であり、他の部分は機械であるという存在の可能性を考えてみましょう」(P.316)
「例えば、歯に詰め物をしたり、めがねをかけたりしている時、どこまでが私自身で、どからかが私たちがうまだしてテクノロジーであるのかを明確に区別することはできないでしょう。さらに、補聴器、ペースメーカー、義手・義足、車椅子――を考えてくると、ますます私たちとテクノロジーが一体になっているということがわかります。(中略)レジ尾によって、私たちの耳は遠く離れた音を拾うことができます。テレビは、wあたしたちの視界を宇宙にまで広げてくれます。コンピューターのキーは、私たちの声を地球上のいたるところに届けてくれます。アドレス、日記、手紙、文章、単語のスペルなどに関する自分の記憶を、コンピューターに蓄積されている記憶から明確に区別することは困難です。私たちはみな、ある部分はサイボーグとして生きているといっても、決しておかしくはないのです。」(P.316
このメタファーを採用することによって何を得ようとしているのでしょうか?
文章を読んでいくと、私たちのモダニズム的な思考パターンの代表である、「善と悪」「正解と不正解」という二分法への挑戦として、このメタファーが有効ではないかという議論です。
このメタファーの有効性についてもう少し自分の中で考えていくことにします。
あなたへの社会構成主義 | |
ケネス・J. ガーゲン Kenneth J. Gergen
ナカニシヤ出版 2004-11 |