日本吃音臨床研究会の研究誌(No.18 2012)を読んで

縁があって、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さんとお会いする機会があり、それ以降、この研究会の会報や研究誌を送って頂いています。

昨日、日本臨床研究会の吃音臨床研究誌(スタタリング・ナウ No.18 2012年度)が手元に届きましたので、早速読ませて頂きました。

今回の研究誌のテーマは「吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み 〜第一回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会 報告〜」です。研究誌は、105ページもあり、読み応えがあります。

昨年度おこなわれた「第一回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」(2012年8月4日、5日)における、伊藤さんの基調講演、浜田寿美男氏の講演、そして対談、シンポジウム、実践講座が収録されています。

 

ナラティヴ・アプローチとの関連

伊藤さんは、ナラティヴ・アプローチの考えを積極的に取り入れようとされています。そのため、私にとって大変興味深いのが、どのようにナラティヴの考え方や技法が、吃音というものに対する取り組みおいて、有効であるのかについての考察を垣間見ることができるところです。

 

伊藤さんの発言を追っていくと大変興味深いのですが、ナラティヴに対するとらえ方が非常に的を得ていると感じることができます。ナラティヴのことを聞きかじった専門家が書いている説明よりもよっぽど理解できます。これはどこからもたらされるのだろうかと、読みながら考えていました。

当然、伊藤さんの理解する力、今までの経験など、伊藤さんという個人に由来するところが多々あるのですが、伊藤さんがナラティヴを読み解く立場が大きく影響していると思いました。

それは、ナラティヴを提供する立場ではなく、ナラティヴ・アプローチを提供される立場として、ナラティヴを理解しようとしているからであるということです。

 

これは、伊藤さんが今まで取り組まれてきた当事者研究という視点から見れば、まったく持って自然なことであるかもしれません。しかし、この点を越えることができないために、視点のずれが生じたり、ある種の覚悟を持って、その現象を読み解くと言うことができなくなるのではないかと考えるのです。

ここで覚悟とは、「吃音に対する治療は、有効ではない」といいきることが出来るようなものです。これが、実は、専門家が持つことができないときがあるようなものではないでしょうか。

 

私は「ナラティヴ・セラピーの会話術」の中で、「自分のナラティヴ・セラピーをどのようなものにしたいのかと問われれば、私自身が受けたいものを提供したいと答えるでしょう(p.249)」と書きました。

また、ナラティヴ・セラピーに関する著書を多数訳している小森康永さんは、「ナラティヴ・プラクティス — 会話を続けよう」(マイケル・ホワイト著)の訳者あとがきの中で、次のように述べています。

筆者は訳者として、ナラティヴって結局何なのだと訊かれ、自分たちのして欲しい治療を作ること、セラピーの消費運動だと思うと答えることが多い(p.174)

ナラティヴ・アプローチを追求するとは、このような点が不可欠になるのであると、あらためて思いました。

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「情報伝達のことば」から「表現としてのことば」

伊藤伸二さんの基調講演の中に、「情報伝達のことば」を使っていたうちは、それほどどもることがなかったが、「表現としてのことば」を取り戻すと、どもるようになったということがあります。

これは、真剣に考えていきたいところです。

どもりの治療が、どもっている人びとから「表現としてのことば」を奪っているのであれば、大変憂うべきことであると、認識すべきことでしょう。

ナラティヴでよく引用される箇所では、「Speaking into existence」があります。私たちは、語ることによって存在することができるというのです。つまり、語れなければ、私たちは存在していないことになります。

もし、どもるということで、話すことの内容、語り口、表現が制限され、制御されるということになれば、その人はすでにその人自身のことばを話していないということになります。そして、それがどんなにうまくいっているように見えたとしても、それは、その人自身のことを語っていると言うことにはなっていないということなのです。

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「発達は結果であって目標ではない」

浜田寿美男氏の講演の中で私が特に興味を持ったのは、このことばです。本当にそう思いました。

 

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読んだ後、何か書きたくなる文章に出会うのはうれしいことだと、再認識しました。