「坂の上の雲」を久しぶりに読み返して

NHKのドラマで「坂の上の雲」があったのは知っていましたが、見る機会がいままでありませんでした。

知人がDVDを貸してくれたので見始めました(このブログを書いている時点で2部の終わり、9話まで見ました)。ストーリーの最後を知っているので、最初から涙が出てきました。

この時代(明治の初期)に流れている精神を身近に感じるとき、生きていく上で大切な価値観を再認識できるような気がします。

ここでは、思いついたことを、思いついたままに綴ってみます。

 

「坂の上の雲」は何年ぶり読んだのかはっきり覚えていません。一番最初に読んだのは、大学の頃だと記憶しています。その後、1,2回は読んでいるのですが、この年になって読んでずいぶん自分の感じるところが違うと思いました。

たぶん、この時代の実務遂行者である「大人」との距離感が異なるのではないか、と考えています。以前は、ある程度人ごととして、批判的な視線を無邪気に持つことができました。ところが、今回は、自分のことを、実務遂行者の一部として、ある程度位置づける必要があると思う部分があるため、「同情」的な感覚も生じてしまいました。

 

志士という言葉があります。「志を持つ人」と言うことぐらいにしか理解していませんでしたが、

志士(しし)は、一般に日本の江戸時代後期の幕末において活動した在野の人物を指す歴史用語。『論語』にある「志士仁人(ししじんじん)は(…)身を殺して以て仁をなすなり」が語源で、天下国家のため正しいと信じたことを、生命をかけて貫く人物像を指した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%A3%AB

 と、あります。私利私欲を抑えて、公的なもののために自分の身を捧げる人と言うことだったのですね。

今の時代に、このようなことを口で子どもたちに説いても、自分たち大人が実践できていない場合には、何も伝わらないものなのでしょう。

自分が憂うべき範囲が自分のことや家族のこと、子どものことだけになってしまうと、自分の思考が矮小化していく気がします。もっと大きなこと、未来のことを考える時間を取っていきたいものだ思います。

 

この時代を生き残れたことは、まったく持って奇跡だったのだと再認識すると共に、その奇跡に酔うと恐ろしい結末(太平洋戦争敗戦)が待っているのだと痛感しました。