映画化されると聞いて、原作を読んでみました。
SFの古典的な地位を確立していると言うことでしたが、私は今まで読む機会はありませんでした。
小説のプロットは大変興味深く、最後まで数日で読むことができました(今、自分のすべきことがなかなかうまくできないでいるので、逃避したいという気持ちも手伝いましたが…)
この小説の神髄は、戦闘場面における戦法は、経歴でもなく、年齢でもなく、軍師としての感覚を持っているものにゆだねるべきであるという点がしっかり抑えられていることのあると思います。司馬遼太郎は、軍師の能力を持った人は大変稀である、と述べています。
ここで、戦法をTacticsという意味で使っています。戦争という大きな局面についての戦術をStrategyと呼びます。「エンダーのゲーム」において、Strategyとなる戦術は大人が担当しています。これについて、主人公となる子どもたちにゆだねられることはありません。
大人たちは大きな戦術を考えるのであるが、いざ戦うという点においてのみ、その才能を持ったもの立ちにゆだねようと言うことなのです。
歴史上、今まで「大人」がこのような決断をしたことはないでしょう。
そして、軍師としての能力を持ったこどもが、その能力を最大限に発揮するためには、どうすればいいのかというのが、大人たちの最大の関心であり、悩みであるのです。
「大人」は子どもに大人が抱えるべき苦悩を押しつけて、子どもたちに不要な心配をかけることはできません。しかし、戦闘を戦い抜くという使命を与えられた子どもたちに、自分自身でやり遂げなければならないことを、軽減することは決してしません。また、そのために過酷な課題を与え続けます。ここに、教育というものが本来持つべき厳しさもうまく表現できていると思います。
そして、最終的に大人は、どのようにしたらエンダーたちがその能力を発揮できるのだろうかという点において、ひとつの選択肢をとります。その選択肢こそが、この本のタイトルの意味を明瞭にあらわしていると考えることができるのだと思いました。ネタバレなので、書きませんけど。
早川書房から、新訳版がでているようなので、興味のある方は手に取ってみてください。旧訳版については、訳があまり良くないという批評を読みましたので、あえて新訳版を出したのだろうかと思うところでした。
さて、原文方ですが、こちらも読みやすいと思います。ただ、かなり韻を踏んだような表現が多用されていますので、文章を読んで、頭の中で音がうまく再生されないと、うまく意味がとれないところがある気がしました。
このような文章は、それぞれの単語の意味を調べても、文章として意味をなしません。しかし、音として聞くと何となく理解できるのです。
そのため、英文はオーディオブックを併用して、聞きながら読んでみるのもいいのかもしれません。