ニュージーランドにおける多文化的なカウンセリング
ニュージーランドは、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの国のように移民の国です。そのため、毎年移民者が来ます。また、外の人を受け入れるということを当然のごとく考えていますので、難民も受け入れています。
そのような環境の中でカウンセリングを提供することは、たいへん多文化的な活動になることが予想されます。ところが、他のニュージーランド人のカウンセラーと話をしても、カウンセリングという場で他文化のクライアントとあまり話をしていないようなのです。
当然、カウンセラーが勤務する場には、移民や難民がいなければ、接点はありません。ところが、ハイスクール、大学、専門学校など、移民、難民だけでなく、留学生もたくさんいるところに勤務しているのにも関わらず、接点があまりないのです。
なぜ移民はカウンセリングサービスを利用しないのか?
この質問に対して、よく聞く答えは、移民の人にとって、カウンセリングという言葉がたいへん否定的なものに響くというものです。つまり、カウンセリングは、精神障害などを発症した一部の人たちのものであり、そのようなサービスを利用することなど考えることもできないというものです。
これを十分に理解することができますし、そうだろうと思えます。しかし、これ以外の要因も考慮しておく必要があるでしょう。
「カウンセリング」とは何か分からない
もうひとつの大きな点は、ただ単に「カウンセリング」とは何で、どのようなことを話すのか分かっていないということもできます。
日本でカウンセリングの基礎講座などをしているときに、受講者の中でカウンセリングを実際に受けたり、見たりしたことがある人はどれほどいるのか聞くときがあります。その時の受講者の集団に寄りますが、カウンセリングの経験をしたり、見たことがある人は、10%に満たないことが往々にしてあります。そのため、私はまず、一般的なことを述べてから、カウンセリングのデモンストレーションをすることから始めています。
つまり、多くの人は言葉を知っていても、それが何かを知らないのです。
それが何かを知らなければ、必要な時に、カウンセリングを利用してみようとは思わないでしょう。
このことは、私たちの活動に大切なことを示唆しています。それは、私たちが、移民や留学生に積極的にアプローチしなければならないということを示しているのではないかと思うのです。彼らが自ら、カウンセリング室のドアをノックすることはないからです。
移民や留学生がこないからといって、何の問題がないと見なしてはいけないことも意味します。
そして、この手のアプローチが現状ではたいへん少ないのだと思うのです。
「言語の壁」
人と人のコミュニケーションにはいろいろなレベルがあります。あいさつ程度の会話から、情報を得るためにする会話、そして、友人らとする会話など、さまざまな会話があります。このレベルは、やりとりされる言語の複雑さとして、理解することものできます。
他の言語のあいさつを覚えるのなんて簡単なものです。たいてい、数時間もあればできます。
明確な情報をやりとりするための言語を覚えること、つまり、幼稚園や小学校低学年の子どもたちが使うような言葉を覚えることは、母国語の基準からみれば「たいへん簡単なこと」です。ところが、このレベルをするためには、相当量の時間が必要になります。
日本では、中学校3年、高校3年を費やして、この程度のやりとりをすることができると見なすこともできるでしょう。個人差があるので、かなりのところまで習得できる人もいれば、ほとんど習得できない人もいるのは、みなさんもよく理解できると思います。
つまり、言語というのは「あいさつ程度のコミュニケーション」を越えると途端に難しくなります。
ましてや、カウンセリングで要求される言語のレベルはかなり高度なものです。母国語でもうまく表現できないと感じるような、自分の気持ち、感情、感覚を、多言語で伝えることは、自分は十分にできますと言えるような人はあまりいません。
英語の壁がカウンセリングを受けるのを妨げている
最近、移民の人たちがカウンセリングを受けるときに、ネイティヴ・イングリッシュ・スピーカーからはカウンセリングを受けたくないという話を聞くことがあります。また、カウンセリングの場で、開口一番「私の英語はうまくなので」と、ことわってから会話を始める人もいました。
つまり、ネイティヴ・イングリッシュ・スピーカーと話すこと自体がたいへんなストレスなのだろうと見なすことができるのではないでしょうか。自分のことを考えても理解できます。ネイティヴではないアクセントをうまく理解できない人もたくさんいます。
そのようなときに、自分が悩んでいること、苦しんでいることなどに集中できません。相手が自分の言いたいことを分かってくれるのか? うまく言えないのをあいてはどう思うのだろうか? そんなことを考えながら話をしなければなりません。
この時に興味深いときに、「英語の壁」というときに、第二カ国語として話している人との「英語」ではありません。日本人として、中国人と話すときには、「英語」で会話をします。しかし、そのようなときには、「英語の壁」はそれほど大きなものとして立ちはだからないのです。
お互いに英語の難しさを知っているので、十分に表現できないことへの恥もそれほど感じなくてすむのです。
ダイバーシティ・カウンセリング・ニュージーランドのサービスの意義
ダイバーシティ・カウンセリング・ニュージーランド(DCNZ)では、移民のカウンセラーがカウンセリングを提供しています。言語の難しさを理解している者たちです。時には、相手の母国語を話すカウンセラーがいない場合には、英語でカウンセリングを提供する必要があります。しかし、上のような理由から、それでも、母国語で英語を話す人に比べたら、楽に話すことができる場を提供できる可能性が十分にあるのです。
移民、難民、留学生もカウンセリング・サービスを必要としています。これを、できるだけ多くの人びとに届けたいというのが私たちの願いなのです。
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