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カウンセリング場面における言語と文化について

DCNZのプレゼンテーション機会をもらいました

来週の月曜日にNZAC(New Zealand Association of Counsellors)のワイカト支部の支部会で、ダイバーシティ・カウンセリング・ニュージーランドの活動について急きょ紹介することになりました。その際に、カウンセリングにおいて、カウンセラーとクライアントの言語と文化について少し話をしようと思っています。その内容についてアウトラインを練ってみました。

「カウンセリング場面における言語と文化について」アウトライン

カウンセラーとクライアントが有する言語と文化の違いを想定すること

カウンセリングという場面において、カウンセラーとクライアントが会話を進めていきます。この会話の性質については、カウンセリングの理論や技法、そしてクライアントの違いによって、さまざまなバリエーションがあるものです。日本のように、クライアントが日本語を話さないという状況は想定しにくいのと同様に、ニュージーランドも、クライアントが英語を話さないという状況をあまり想定されていません。

ところが、移民の人びとに対応することを想定するやいなや、この前提が怪しくなってきてしまいます。クライアントがカウンセラーの話す言語を話すことができないと言う状況が当然のごとくあるからです。

そこで、今日は、クライアントとカウンセラーの関係性を言語および文化という視点から少し考察してみましょう。

カウンセラーとクライアントの距離を言語と文化の違いで測る

通常想定されているカウンセリング場面とは、言語を共有してるだけでなく、文化も共有していると見なしています。この二つとも、日本では、あまりにも当然のことであるため、それ以外のことを考えることさえしないでしょう。

このような状況においてさえも、年齢の違い、性別の違い、職種の違いなど、カウンセラーとクライアントがまったく同じ「文脈」を共有していると思うことはできません。そのため、カウンセラーとしては、言葉を慎重に選び、クライアントとの関係性を作り上げていくのです。

言語が同じでも、文化が違うとはどういうことなのか(Ethnicityが近い場合)

日本語のように、ほぼ日本でしか話されていないと思われている言語では想像しにくいのですが、多くの国で話されている言葉があります。たとえば、スペイン語、英語、ポルトガル語、タミル語、中国語などは、国名と言語名が一致していません。スペイン語とはいうものの、スペインという国だけで話されるわけではないからです。

余談になりますが、DCNZのサイトで言語を選択するプラグインを導入するときに、言語を国旗で選ぶようにすることはできませんでした。なぜなら、スペイン語にスペインの国旗だけに関係づけると、他の国でスペイン語を話す人びとの感情を害する恐れがあると思ったのです。

つまり、言語を共有しているといっても、文化がちがうということをがあるのです。

英語圏では、ニュージーランド人は、ニュージーランドとアメリカが同じ文化であると見なす人は少ないでしょう。言語を共有しているので、たくさんの共通点を見出すことはできます。しかし、アメリカとは違う文化を持っているという認識は、ニュージーランド人のアイデンティティに重要なことになるのです。

そのため、同じ言語を話すとは言っても、文化の違いをしっかりと把握していない限り、カウンセラーはクライアントと関係性を作り上げることは難しいのです。

言語が同じでも、文化が違うとはどういうことなのか(Ethnicityが異なる場合)

ニュージーランドでは、先住の民族であるマオリ族が、植民地化されたことによってマオリ文化や言語が失われてしまったことに対して、さまざまな取り組みがされているところです。現状では、マオリ語をしっかりと話せるマオリの人がかなり失われてしまったので、自分たちの言語を取り戻す努力がなされています。ほぼすべてのマオリ人は、母国語として英語を話すことができます。

カウンセリングの場面において、重要な点は、民族(Ethnicity)が異なる場合でも、双方しっかりと英語を話すことができるという状況があるのです。その場合においても、白人のカウンセラーが、マオリ文化に対する理解をしっかりと持っておくことが重要であるとされています。その教育も、カウンセラー養成プログラムに組み込まれています。

つまりは、たとえ、同じ言語を話すとしても、文化の違いを認識しておくことが大切なことになるという認識があります。

その言語を話すことは話すが、第一言語として話さないとき

移民してきた人と話をするときには、相手がある程度英語を話すときがあります。その際には、ある程度英語という媒体を用いてやりとりをすることができます。

どの程度やりとりが可能なのかについては、相手の言語能力に依存しています。

移民者の中には、流暢な英語を話す人たちがいます。

この人たちは、あることを物語っています。それは、ほとんどが元イギリスの植民地から来た人たちであると言うことです(または小さいときから英語に接していた人)。すでに、母国でも、かなりの人びとが英語を話すことができますし、大学教育が英語でおこなわれることが普通であるため、英語に対して接する機会が圧倒的に違うのです。

移民者の中には、英語がたいへん厳しい人たちがいます。その国の人たちは、英語を勉強する機会がなかったのかもしれませんが、あったとしても母国で英語に接する機会が圧倒的に少なかったと考えることができます。

つまり、言語学習とは、成長するたいへん重要な時期にその言語に触れる機会があるかどうかで、かなり影響を受けます。

その機会がないと、その言語を習得するための能力の一部が失われることになります。たとえば、日本人が、RとLを区別できなくなってしまうようにです。これは、失われた後、練習によって回復することはできません。英語をさまざまな角度から身につけることによって、この失われたものを「補う」ことは可能ですが、失われたものを取り戻すことができません。

また、年齢を重ねるにつれて、言語の習得能力が落ちます。しかも、劇的に。移民の人たちで、中年以降に来た人びとは、英語が身につかずに本当に苦労しています。これは、「自然と」身につける時期を過ぎてしまったため、自分の努力によって身につけるしかないのです。その努力は、楽ではありません。

第一言語として英語を話さない人びとが、母国語として英語を話すカウンセラーに話すとき

第一言語として英語を話さない人びとは自分の英語能力に大きな欠点があることを知っています。どんなに英語話者に慣れてきているといっても、どこかに、もしかしたら自分には理解できないのかも知れないという不安を払拭することができません。

そのような中で、英語話者のカウンセラーにカウンセリングを受けることは、実は一種の恐怖がつきまとうのです。カウンセリングそのものへの恐れではなく、自分がうまく言えなかったらどうしよう、という不安なのです。これは、人によってたいへん大きなものです。

DCNZの活動と関係するのですが、カウンセラーがネイティヴの英語話者ではないと言うだけで、この恐怖がずいぶん楽になるのです。

交流分析に「You’re OK, and I’m OK」というものがあります。これを言い換えて、「私の英語もNOT OK, あなたの英語もNOT OK, しかし、it’s OK」と言えるのではないでしょうか。

当然、理解の深さという点においては、言語をしっかりと共有できていないがために、行き着くことができない可能性が多分にあるでしょう。

しかし、それでも、カウンセラーとクライアントの関係性を作り上げるという点においては、大いに貢献してくれることなのです。

また、移民の人たちは、自分たちが移民(NZ人ではない)というアイデンティティを持っています。そのアイデンティティを共有しているカウンセラーと言うだけでも、大きな共通点を共有していることになるのでしょう。

NZには、どの程度英語が話せない人たちがいるのか?

NZに移民する条件として、一般的には、英語の能力を求めています。しかし、この一般的なルートを経ることなく、移民することも可能なのです。そのため、NZには、まったく英語を話すことができない人たちがいます。

この人たちは、英語という媒体でやりとりすることがほぼ不可能です。あいさつはできます。しかし、カウンセリングで期待される話をするための言語能力は、相当高いはずです。基本的な情報。何歳で、どこに住んでいて、どこから来たのか。パートナーは何をしているのか、子どもは何人いるのかなどの情報はゆっくりと引き出すことができます。

ところが、パートナーはどんな人で、子供たちはどんな様子なのか、今どのような苦しみがあるのかななど、到底英語では表現できないのです。

もし、このような人が苦しんでおり、話すことがいろいろなことへの改善につながるのであれば、手段としてカウンセリングを提供したいものです。移民を受け入れている国として、そのような手段を提供すべきでしょう。

DCNZでは、このように言語や文化の違いが大切なものであると考え、さまざまな言語で専門的なカウンセリングを提供しているのです。

まだ他にもいろいろな要素があります。それは、またの機会にします。