翻訳家になるための適性
先日、オークランドに在住の友人であり、翻訳家である橋本さんを招いてセミナーをおこないました。その際に、翻訳家になるための適性について話があったのが印象的でした。
当然英語力とか、語彙が豊富であるとか、文章力があるというような能力についてのことも当然あるのですが、ここで出た話は、もっと基本的な資質つまりは、適性と呼べるものでした。
翻訳家になるための資質とは、言葉を1つひとつ拾っていく力があるということ、だということです。言葉を1つひとつ拾っていくとは、1つひとつの言葉の意味をしっかりと確認して、別の言葉に置き換えていくということです。そして、その際に、その言葉を取りこぼさないようにする注意力が必要だということでした。
これはどのようなことなのでしょう。それは、1つひとつの言葉を拾っていくという「丁寧さ」であると思います。周太郎くんによれば、一日に数え切れないぐらい辞書をひくというのです。つまり、その言葉を早合点して、知っていると思い込まない。別の意味として使われているのではないか、念のために確認してみるという「慎重さ」が必要なのです。
このセミナーに参加した人の何人かに、後で感想を聞いてみました。そうしたら、この適性のことがしっかりと伝わっていたように思いました。ある人は「自分には適性がある思ったんです」といい、ある人は「私には向いてないと思いました」といいました。
私は、その人がその道に入る前に、このようなセミナーがあることがたいへん重要なことだと思いました。
カウンセラーになるための適性とは?
そして、当然、私の職業であるカウンセラーというものはどのような適性が求められるのだろうかについて、いろいろと思いをめぐらせて見たくなりました。このセミナー以降、どうやって「カウンセラーになるための適性」を論じることができるのだろうかと考えてみましたが、こちらの方はなかなか難しい問題であると思い始めています。
なぜなんでしょう。
私が考える適性とは、私が好む手法をどのような人がうまく運用できるのだろうかという視点で考え始めていることに気付きました。それ以外のやり方だってあるはずです。そのやり方にあった適性だってあるはずです。そのため、一概には言えないということになってしまいそうです。
もうひとつ考えられる方向性としては、どのような人が向いていないのだろうかということを検討することです。なぜならば、同業種の人と会う機会があるのですが、私のカウンセラーにはなってもらいたくないと思ってしまう人もいます。単純に、この人はこの仕事をこなせるのだろうかという疑念が浮かぶときでもあります。
このことを記述しようとしてみたのですが、こちらも難しいものだと気づき始めました。なかなかうまく記述できないです。文章力の問題ではなく、私の好みを越えたところから記述できないということです。私の好みはかけそうなのですが、それをもってカウンセラーになるための適性というわけにはいかないです。
でも、何かかけそうな気がしているのも事実です。この辺のことはもっと考えていきます。これだというような論文や本も読んだことがないので、言語化できないのかもしれません。もっと勉強してみます。