目が輝いていたとき

 以下のことは、私の記憶にある私のことではない。私が、私について人から聞いたことの記憶である。

 中学校に入り始めた頃、私のことを良く覚えてくれた先生がいた。一年の時は担任ではなかったが、二年、三年のときには、担任を受け持ってくれた。たぶん、後でも述べるが、その先生が私の担任を引き受けてくれたのだと思う。

 その先生は、私のことをどのように覚えていたのかというと、教室でこれほど興味津々と授業を聞く生徒を見たことがないということであった。そのときの表情や態度がどのようなものなのか自分ではまったくわからない。

 その先生の年齢は覚えていないが、教師経験は相当長い方だったと記憶している。なので、私が与えた印象はまんざらなものではなかったのであろう。

 その後しばらく経って、家庭訪問の時、担任の先生が私の両親に、最近私の目の輝きが失われてきたことを伝えたらしい。

 なぜかというと、中学校の授業に失望してきたのだろうということであった。これは、両親のいうことなので、実際のところわからない。繰り返すが、私にはまったく記憶がない。

 そしてある時、私が担任の先生に向かって、爆発したらしい。どうやら、担任の先生が生徒の宿題をしっかりと見ていなかったというのが原因であるということであった。私の言い分としては、「俺たちだって一生懸命宿題をしているのだ、それを、ちゃんと見ないのはどういうことか」ということであったらしい。そして、その怒りが相当なものであったため、両親が学校に呼ばれることになった。この理由が、幼稚なものなのか、それなりに正当なものなのかさえ、私にはわからない。たぶん、しばらくすれば、その場は何とかおさまったのだろう。

 しかし、面倒なやつだという印象を与えたのは確実である。そこで、先生たちは、何かやらせて気を紛らわせようとしたのか、生徒会に立候補させられた。どういういきさつであったのかについても、まったく記憶にない。ただ、立候補し、その後活動したことについては覚えている。

 そして、2年生になって、最初に私の目の輝きに気づいてくれた先生が担任をしてくれることになった。その先生が引き受けましょうといってくれたのだと察することができる。

 やっかいな生徒をしっかりと対応してくれた先生たちには、心から感謝している。先生たちに、やっかいなヤツを受け入れる力がなければ、目の敵にされていたかもしれないからである。

 小学校の時、中学校に行けば、算数から数学に変わるし、専門教科も増えるということを聞いていたので、とても興味深いことを教えてくれるに違いないという思い込みがあったのだろう、と推測している。しかし、中学校の授業はそれほどエキサイティングではなかったということだ。

 今まで学校の先生になろうと思ったことは一度もない。それは、あまりにも退屈なものとしか映らなかった。毎年同じことを教えるなんて耐えられないと思っていた。また、教えることが決まっているなら、教科書を読めばいいと思っていた。また、教師になったら、自分でも思ってもいないことを言わないといけないようになるとさえ思っていた。

 ところが、今、人に何かを伝えることはたいへん興味深いことだと思い始めている。私との対話を通じて、相手の目の輝きが生じるとき、そのことの意義をすごく感じることができる。これも、カウンセリングという場での対話を通じて理解できたことだ。

 学校のシステムがもっとバラエティに富んだものであったら、私は、オルタナティヴな学校に行きたいと思ったはずである。知的な興味をかき立てるような学校。最初の目の輝きを失わせない学校。世界中探しても、そんなところなんてないのかもしれない。でも、そのような学校を夢見る。

 

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