12月12日に、鹿児島県の伊佐市で「カウンセリングから学ぶ対人援助研修会 困難な事例をどう捉えるか」という題で、研修会(ワークショップに近い)を行いました。
この研修会での一番の目的は、取り組もうとする問題が、それぞれの立場からさまざまな様相を見せていることを理解することです。
このワークショップを必要性とアイディアは、オープン・ダイアログの勉強をしようと思って購入した「Dialogical Meetings in Social Networks」にあります。この中で、多職種間で行われるネットワーク・ミーティング(連絡会議あるいはケースカンファレンス)がいかにフラストレーションに満ちたものであるのかについて説明されており、結局、共通の問題などはないのであるとしています。
つまり、立場が変われば、その問題の見え方(様相)も変わるのでということなのです。当然といえば当然なことなのですが、ネットワーク・ミーティングでは、問題の共通理解を図ろうしてしまいます。そして、その理解をしない職種の人がいると、その会議は説得に終始しなければならなくなるのです。
ところが、結局は問題のついての統一見解がないという立場を取ると、さまざまな可能性が見えてきます。まず、問題が問題としてそれほど見えていないというのは、もしかしたら取り組みへの可能性が秘めているかもしれないのです。そのため、そのネットワークの場で、それぞれの異なった見解を出しても良い機会になるのです。
そしてさらに、そのような場において、当事者の見解(当事者の問題の見方)も組み込むことさえ用意になるはずなのです。
この研修会では、「問題」がいかに見る人の目によって異なるのか、そして、どの職種の見解が優先されるのか、また、特定の問題の名前で取り組むことは問題解決どころか、問題の手口にハマってしまうことがあるのだと、最初に私が説明しました。そして、次のワークを行いました。
ワーク
1. 4,5名のグループになる。グループでひとつのケースを共有する。もし出ないとすれば、私の方からひとつのケースを呈示するのでそれについて話し合う。
2 グループでは、できる限り多職種で構成されているので、それぞれの立場からこのケースの問題がどのように見えるのかについて共有する。ここで、できる限りいろいろな視点が出てくることが望ましいと伝える。
3. 次に、自分の職種の役割を一時的に降りてもらい、当事者になってもらう。そして、当事者として、その問題がどのように見えるのかについて、できる限り想像してもらう。
4. その後、自分の職種に戻り、当事者の視点を得た結果、どのようなことができるのだろうかについて検討してもらう。
全体に戻ったあとで、それぞれのグループでの話がどのようなものであったのかについて、共有してもらいました。その時に印象的であったのは、自分の立場からは、いろいろとその問題について語ることができても、当事者としてはほとんど語ることができなかったというコメントです。つまり、相手の立場からどう見えるのかについて、私たちは知らなすぎるのかもしれません。それに関連するコメントしては、「共感することと、相手の立場になって見ることは違う」というものもありました。
また、ワーク3においては、実際の立場になる可能性のある人(たとえば、母親)がいろいろと発言してくれて、その場に貢献してくれたということでした。
このワークが実際のケース会議で活用できるのかどうかについてはもっと検討していく必要はあるのでしょうが、一つの示唆を与えてくれている気がしています。
上に紹介した本をまだしっかりと読み終えていませんので、私も勉強を続けます。
このような研修会は、私が一方的にお願いしているのではなく、伊佐市の担当者と何度もメールのやり取りをして、事前の電話での打ち合わせをしてから行っています。相手の求める研修を企画していくのは、大変やりやすいです。伊佐市の取り組みにはいつも感心させられます。