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「ライフデザイン・カウンセリング」

「ライフキャリア・カウンセリングへの道」

 2017年3月末に、平木典子さんにお会いする機会をいただき、一日半ほど一緒に職業を含めて、人の人生に対してどのように関わることができるのかについて、話をする機会をいただきました。

 この場には、平木典子さんの他にも、キャリア・カウンセリングに関わる方々もいて、「キャリア」をめぐって人をどのように支援してくべきかについて、私の理解を助けてくれました。

 またその後、平木典子さんがニュージーランドまで、「ライフキャリア・カウンセリングのへの道―働くことと家族の統合を志向する実践から―」というタイトルの展望論文を(金子書房)を送ってくれました。

 このように人に助けられてキャリアという領域において、どのように人を支援しようとしているのかの方向性がおぼろげながら見えてきたような気がします。

 ここに自分の理解を整理する意味も含めて、考えを簡単にまとめてみたいと思います。

 

「職業」と訳されている三つの英単語

 日本語でこの領域の支援についていろいろな呼び名がありすがが、三つの英単語に同じ職業という訳語を与えることによって、この領域に対する混乱がまずあったと思います。その混乱は、私がこの領域の活動に対しての意義をはっきりと掴み損なわせていた原因とも理解できそうです。

 一つ目は、Vocation。これには職業という訳語が与えられることがありますが、意味するところは「適職」「天職」であり、私たちが人生を営む上で誰しも手にすることはできないものの、誰もがそれを求めることがあるようなものではないでしょうか。

 二つ目は、Career。これにも職業という訳語が与えられますが、「人生路」「生涯」「職業上の成功」という意味での職業です。つまり、キャリアを積むという表現が許されるように、そこには、専門領域の勉強、訓練が必要とするものであることが示唆されます。すぐに得ることができることにはならないので、そこにたどり着くためのルートをしっかりと検討していく必要があります。

 三つ目は、Occupation。これは職業でも、生計を立てるためのものです。つまり、生きていくための現金収入を得るためのものです。

 

相談業務において三つの「職業」が意味することの違い

 職業に対する相談、あるいはガイダンスだとしても、相談を受けるものがどの職業について語ろうかとすることによって、話していく内容には大きな違いが生じる可能性があります。

 Vocationについて語ろうとするときの難しさは、「天職」ということが、事後的に、つまりそのことに取り組んできたことによってしかそのことを認められないものであるという性質をもっていますので、それに取り組む前にはそれが自分の天職であるかどうかについて、知るすべがありません。

 そこで、そこに適性があるかどうかによって、その可能性を高めるという手段に流れることは自然ですが、適性があることと、将来的に「天職」である可能性が高くなるとは言えません。なぜならば、その職の存在意義や価値を与えるのは本人だけの問題ではなく、社会文化的な問題でもあるからです。いくらそのことが得意であったしても、その価値を認められていない職に対して、自分はそれが「天職」であったなど思えそうにないからです。

次に、Careerに語ろうとするとき、最終的にたどり着く職に対する期待や希望、そして、それを自分が取り組んでいることの意味が含まれる気がします。そして、そのことをしっかりと確認したあとで、どのようなステップでそこにたどり着けるのであろうかということを検討してくのでしょう。

 最後に、Occupationについて語るのであれば、それは、当面の収入を得るための仕事をどうしようかという、近視的な話に陥る可能性があるのは想像できそうです。

 

三つの「職業」にも抜けている視点

 上の三つの職業について考えていく時、そこには大きな要素が抜けていることが分かります。それは、Vocationであれ、Careerであれ、職業というものは私たちの人生についてのことです。それでは人生のことについて何について考えていく必要があるのかという問いを立てるのであれば、職業が大切であることはゆるぎはしないものの、それがすべてではないことに気づけます。

 職業以外のものとは、仕事以外の自分の人生についてのことです。つまり、自分のパートナーとなる相手とどのような家庭を作っていくのか、子どもはどうしたいのか、余暇をどのようにしたいのか、趣味を持つことはどうなのかなど、私たちの人生において重要そうなことはいくらでも上がります。

 自分の家庭のことだけでなく、自分の親のことや、親戚のこと、地域のことなども含まれるときもあるでしょう。

 そして、このようなことをしっかりと自分の職業を選択する上で語っていく必要がある時期に来ているのではないかということなのでしょう。

 日本が貧しかった時、戦後復興しなければならないとき、生きるということだけが大変な時期がありました。そのときに、Occupationとしての職があること以外をなかなか考えられなかったのは理解できます。

 そして、今、私たちはある程度選択して職業につくことができます。ところが、その職業が、人生そのものであるような、言い方を変えれば、その職業に人生のすべてを支配しているような状況が続いているところがあるように見受けられます。

つまりは、「職業」だけについてのことにしてはいけないのではないかと思うのです。

 

「ライフデザイン」

 大学を卒業する前に、職業を得ることが生きていくためのことであると思っていました。その中で、何か自分のしたいことに取り組めたらいいなと思っていました。

 それなりに人生を送ってきて、収入のために働くことが重要であることは認めつつも、それだけでは自分の充足感を満たしてくれないことにも気づいています。

 単に自分個人のためのお金やモノは、そこを満たしてくれないということです。

 それでは、自分にとっては何が必要なのか? 何が満たしてくれるものなのか? そこが、ひとつの大きな焦点になるのではないかと、現時点では感じています。

 それを、支援職に就くものがどのように提供できるというのでしょうか? この問について、この領域にいるものが取り組んでいく必要がありそうです。

 それを、対応する英単語はどれであろうと「職業」ということだけで話していくのは難しいということです。そのため、これからこの領域のことを「ライフキャリア」「ライフデザイン」などといった、人生(ライフ)という軸で話をする必要があるということなのでしょう。

 

未知の世界に飛び込むのを見守る

 少し話題がずれますが、自分が職業を変えることを悩んでいたとき、とりあえずその職から離れるということをしました。計画なんかなかったのです。でも、そこに留まっていては次がないことも分かっていたのです。

 このときに誰かに話ができたらどんなに良かったことだろうと思います。でも、安易に自分を引き止めたり、安全な道に誘導するような人と話すことはなかったと思います。では、どのような相手を求めていたのでしょうか? それは、未知の世界に飛び込む自分を信じてくれるような人であったのかと思うのです。それは、自分があたって砕けるのを見てくれるような人だったと思うのです。

 この私のニーズが万人に当てはまるとは思いませんが、忘れてほしくない側面のような気がします。

 マルクスがこのような場面で言っていないとは理解しつつも「命がけの飛躍」という言葉を思い出します。その覚悟を持って臨もうとしている人に、覚悟を持ってそのことを理解してほしいということなのだと思うのです。

 

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