ニュージーランドに住む人々の英語力
ニュージーランドの公用語は、英語とマオリ語です。マオリ人でも、マオリ語を話せない人もいるぐらいなので、実質的に英語がメインとなります。マオリ語をなんか復活させようとがんばっていますが、まだです。
ニュージーランドで、技術職などのカテゴリで移民する人や、大学に入学する人には、一定の英語力が必要となりますので、ある程度英語でコミュニケーションできます。
ところが、ニュージーランドにいても英語力がかなり厳しい人々もたくさんいます。いろいろな場合が考えられるのですが、難民の場合、自国語での教育も受けていなかったり、文盲であったりするので、ニュージーランドで英語を身につけることはたいへんに難しいことになります。
年齢的な要因
新しい言語を学ぶのは、若い方が圧倒的に有利です。若いといっても、中学生ぐらいになると、若いという有利さをなかなか感じることができないでしょう。
まあ日本のように、まわりがまったく英語話者がいないところでは、小学校で始めたからといって、身につくわけではないのですが。
要は、大人になってニュージーランドに移民しても、英語力を身につけるのはたいへんです。
英語のクラス
英語の授業をニュージーランドで受けるということは、ネイティヴ英語話者に教わることを意味します。日本の中学校や高校の授業で、英語の先生がすべて英語を流暢に話していることを想像してみてください。
ある程度、英語の基礎がある場合、あるいは、子どもが本当に若い場合(幼稚園や小学生)を除いて、初心の英語をネイティヴ英語話者に教わるのは、しんどいです。何を言っているのか分かりませんから。分からないものを、分からない言葉で説明されても、分かるわけがないのです。
難民がニュージーランド社会で生活していくために、2年ほど英語のクラスに通うことになります。ここでは、文字通り、ABCの読み方から始めるようなものです。このレベルを、英語しか話せない人が教えても、能率が高くなるわけがないのです。
バイリンガル・サポート
そのため、このようなクラスには、英語と難民の言語を話す助手が同室して、生徒の勉強の助けを見ることになります。
この人たちは、難民の言葉も分かるし、英語もある程度分かります。すると、生徒と先生の中間に立たされてなかなか厳しい役所(やくどころ)を引き受けないといけなくなります。
ひとつの言語だけしかできないこと
大体、英語を教える人は自分でも他の言語を学んで、それが以下にたいへんなことなのかを感じる必要があると思っています。英語しかできない英語の先生は、ただ勉強すれば、ただ英語に触れれば、ただ英語を話す努力をすれば、英語はうまくなるぐらいにしか思っていないのではないかと、勘ぐりたくなる時がたびたびあります。
そのような時、大人になって、英語という言語を身につけることの厳しさに直面している人の心理的な理解はまずできないでしょう。
それよりも、英語しかできない人が教える英語は、大人になって習う人に必要な構造(文法)をうまく提示してくれないこともたびたびあります。そのような授業はどのようになるのかというと、漫然とした授業になります。英語で授業はうけた、しかし、手応えがない、と言えそうです。
バイリンガル・サポート・グループ
バイリンガル・サポートを担当している人たちが、自分の民族からの理不尽な要求と、英語の先生たちの無理解の間に立たされて、たいへん辛い思いをしているのではないか、いろいろと悩んでいるのではないかと考え、ダイバーシティ・カウンセリング・ニュージーランドからカウンセラーが派遣されて、サポートグループの立ち上げを手伝ってきました。
私ともうひとりのカウンセラーで担当したのですが、聞けた話はなかなか興味がありました。
そして、やはり、結構しんどい立場のようでした。基本的に、この仕事の境界が不明瞭だということなのでしょう。いくら明瞭にしたいといったところで、英語を話せない人にとっては、自分の言葉と英語を話してくれる人は、貴重な存在なので、いろいろな役所を求めてくると言うことのようです。
蛇足
日本の高校で英語で英語を教えるようになったと聞きましたが、どのぐらいで逆効果であるという意見が出るのか興味深く見守っています。
文脈のないところで、言語を身につけられる人は限られています。万人に向けた方策としては、あまりにも稚拙であると思うのですよね。