ニュージーランドで移民のためのカウンセリングサービスを提供するダイバーシティ・カウンセリング・ニュージーランド(DCNZ)では、定期的に日本語のセミナーを開催しています。
このセミナーでは、ニュージーランドでの生活をより良くするために、日本人でいろいろな職業に就いている方を招いてその人の体験を語ってもらっています。
このような研修をする際に問題となるのは、1時半ぐらいの話をしてくれる人を捜すのがなかなか大変であると言うことです。特に日本人の少ないニュージーランドでは難しいことです。一時間半もの間話し続けるなんて、その経験のない人がそんなに易々と引き受けてくれるものではありません。ひとつには、どのぐらいの話題を用意すればいいのかまったく検討もつかないからでしょう。もうひとつには、自分の体験が、それほど特別であると感じることができないからです。
ゴシップ話ではなく、自分の体験が人の興味関心を惹きつけることがあることなんて考えたことなどないかもしれません。ゴシップ話ではないということは、自分のプライベートに起こった不祥事ではないということです。その人の体験とは、職業人として「普通に」していること、移民者として「普通に」経験したことなのです。それは、その人には「普通」、つまりは取り立てて言うことでもないことと見えることでしょう。
ところが、このような話が実に面白い。体験に根ざした話というのは人を惹きつけます。逆に、ただ本から引っ張ってきた内容のプレゼンテーションはあまり面白くない。
そこで、DCNZでは、講演という形式で人に話を依頼するのではなく、観衆の前でインタビューを受けてもらえませんか、と依頼します。おおよその目安となる質問は事前に提供します。その質問に回答するのではなく、その質問についていろいろと思いをめぐらせておいてください、と依頼します。
当日、セミナーに呼ばれた人は、DCNZのカウンセラーと「会話」していきます。カウンセラーは、その人の体験を引き出せるように質問していきます。そして、観衆にも、カウンセラーがうまく引き出せなかった部分について、質問を補足してもらえないか助けをお願いします。
多くの人はせいぜい30分ほどしか話せないだろうぐらいにしか思っていなかったのだと思いますが、ほぼ90分の枠に収まらないぐらいの話をしてくれます。そして、観衆という助っ人がいるので、途中で自然とフロアからの質問もありますので、その「会話」は会場全体のものとなっていきます。
講演形式ではないことのもうひとつのメリットは、その場で話される話が事前に用意されたものではないということです。普通に話せばそれなりに話せるのに、講演だからといって、わざわざ特別な話を用意しようとします。その特別な話は、その人が意義のあることであると思って選択するのでしょうが、先に述べたように、自分の体験をしっかりと語ることが抜けてしまうことがあったりします。
インタビュー形式である場合、その場で話が調整されることができます。そして、その語り口は、原稿を読むようなものではなく、その人の言葉でその人の口調で語られるのです。これは、大変分かりやすいというだけでなく、話の力も違うような印象を受けています。
私はインタビューする側として、どのようにしたら、その人が自分の体験をしっかりと語ることができるのだろうかということに大変興味を持っています。私の理想は、私が相手の横にいるにもかかわらず、時折、私が質問しているにもかかわらず、観衆にはあまり目立たない存在でありたいということです。それは、極力何もしないということではありません。それは、相手が自然に話が続けられるような質問を提示していくということです。あたかもその相手が、すごく説得力のあり、話のうまい人として話ができていると見えるような質問を提示していくことです。
このような理想が難しいこと、と感じます。それだからこそ、ここにこだわってみる価値が気がしています。