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卒業証明書は知識の習得を保証していないのか!

現代の資格社会において、いろいろな試験が用意されている。試験では、技術を試験したり、勉強してきた知識を試験することになる。この試験について考えてみると、その資格を受けるためには、大学などの専門機関で学ぶことが前提となっている場合、卒業証書をもらうまでに、種々の試験を乗り越えて来ているはずである。その試験は、当然技術であり、知識であるはずである。卒業証明書の意味として、卒業するに値する技術や知識の習得があったと見なされる、と思うのだが、、、

ニュージーランドで働いていたときに、大学の単位を出すのを容易にしていくとに対して、安易な気持ちではいられないスタッフが多くいた。日本人が多かったので、その審査が甘くなりがちであったのである。そのため、そのスタッフに理由を尋ねると、自分持っている学位と同じものが、このように容易に取得できるようになるのは耐えられないというものであった。

ここで重要な点は、意識上、大学の卒業証書はある程度のレベルを保証していると見なしているのである。

しかし、日本では大学にはいることの方も十分に意味があると見ているようで、東大中退も東大卒業も同じようにニュースなどで報道される。東大中退に価値があるとは思えないのだが、あのような難しいところに入ったことに対して、何らかの評価があるのである。

卒業証明書があるレベルの技術や知識を保証していないので、その後に待ち受けている試験も、その技術や知識の再確認をするしかないのだろう。重要なポイントは、実際の社会で働くための必要な部分の試験、それは、教員であれば生徒との関わりであるし、医師であればもっと深い医学の技術や知識、そしてモラリティであるし、カウンセラーであれば実際にカウンセリングをしていく技術やモラリティである。この部分まで、試験する時間がないのか、しても判断が難しいからなのか、あまり熱心にこの部分に教育期間を終えた後の試験の焦点が向いていかない。

何か事件があるとメディアは専門職の技術レベル、知識レベル、そしてモラリティを問いかけるが、勘違いして欲しくないのは、メディアなどが問いかける部分の試験をしてはいないのである。そのようなフィルタをかけていない集団にそのようなことを求めてはいけないのだと思う。

各教育機関の卒業証明書の意味づけをしっかりとして、その後は重複する試験を止め、より高次の試験などを用意して欲しいものである。これはたぶんペーパーテストのようなものではないと考えている。