BlogPost

これは、ある特定の体験のエコーを聞いているのか

東日本大震災に関する話について、大きく二つのカテゴリに分けて考えてみます。このカテゴリは非常におおざっぱなものです。この区別の厳密さに意味があるのではなく、このように分けて見ることに意味があると考えています。

それは、まず直接的な体験についての話と、他の人の体験を別の人が話している話という区別です。

 

いろいろと話を聞いていくと、同じ話なのかと思うようなストーリーを聞く場合があります。これは、カウンセリングにおいて聞く話ではなく、雑談のような形で話されることが多いと感じます。このような話は、実は、その話し手自身の体験による話ではなく、話し手がどこからか仕入れてきた話である場合が多いと感じています。

このような話にはいくつかの特徴があるように感じています。まずは、語られていることによって、その話がある程度洗練されているのではないかという点です。つまり、話がしっかりと要約されており、たぶん多くの人が共感できたり、感じ入ることができたりするような方向性を持っているのではないかということです。一見、話にまとまりがあると言うことです。

次に、ところが、その話において、ものごとや感情の程度が掴みにくいという点です。たとえば、「○○は本当に辛いと思うんだよね」というような形式を取りますが、「どの程度、どのように」辛い体験については分からないままなのです。

いくつか例を挙げると、震災で家族を亡くした人の話、家を失い仮設住宅での生活を余儀なくされている人の話、学校の校庭に仮設住宅が建ってしまい、体を動かすところが奪われている生徒の話などです。

このような状況があると思うし、あるはずだと思うのですが、本人から直接聞くよりも、当事者ではない人から聞く方が多い話題です。だいたい、自分の苦しみやつらさをそんなに表現しないので、もっともだとは思います。

 

ここで、周りが理解している状況が当事者の気持ちと離れていなければ問題ないでしょう。しかし、そのように思えないところも多々あり、どうなんだろうかと、考えていました。

 

その考えから出てきたものは、もしかしたら、一般に流布(るふ)している話の出所はそれほど多くない可能性はあるかもしれないということです。つまり、非常に限られた話が、一般化していることによって、何回もいろいろなところで聞いている可能性があるのではないかと言うことです。

それは、エコー(こだま)のようにいろいろなところにぶつかり、波状的に、いろいろな角度から私の元に届いているのではないかという可能性です。このような話は、噂話や風評として見なされることはありませんが、同じようなプロセスで処理されているのではないかという可能性です。

 

 

今、気仙沼市で勤務できていますので、どこからともなく聞こえてくる「話」について、その話に関係しそうな当事者に直接確認するようにしています。その時に、流布されている話とは、本当にまったく異なった経験を聞きます。私が聞いたことが、一般性のあるものでなく、非常に個人的な経験であると理解しつつも、その差違の大きさに、関心を引かれるのです。

このように直接的に聞くことのできる話は、私が臨床を行う上で大切なものとして積み上がっていきます。なぜならば、その話には、実体験としての、辛さや悲しみ、苦悩が含まれようとも、それはその人が現実の中で感じていることができる領域(境界)が提示されているからです。当然、それは、こちらから聞かない限り出てこないこともあります。

「私」が直接的に、その実体験をしている人から教えてもらったものを尊重していくべきであると考えているところです。それは、どんなに、「理論」として聞こえてくる理解様式とは異なっていようともです。

 

先ほど、流布されている経験談の傾向について述べました。この二次的な体験談を、この現地に来た人が持ち帰り、その人の拠点で、また同じように流布させてしまう可能性も考えておく必要があります。

これは、一般人だけでなく、専門家にも起こります。先ほど、本人からであれば、体験の大きさを確認するすべがあると言いましたが、すべての臨床家がこの作業に取り組んでいるとは思えません。話の中で、たとえば「家を失った」と言うことだけで、話の聞き手が、その大きさを決めつけてしまっている状況も見受けられます。

 

もうひとつこのような話が容易に流布し続けることになる理由があると思います。それは、その二次的な体験談を、被災した人と、十分で、直接的な関係がない人が、否定することができないのです。「そうだったのですね」としか言えないということです。そして、その話を聞いた人は、その話を受け取り、また他の人に伝えることも可能です。その場でも、否定されることはないでしょう。

 

「心の専門家」という職業人の中で、このような二次的な体験談が流布している可能性を危惧しています。私は、どのような話がこの場所以外で、話されているのか分かりませんので、この私の危惧は、私の想像でしかありません。

しかし、否定できる材料もないので、戸惑っているのです。

 

このような直接的な話の中で、「トラウマ」「喪失体験」「PTSD」について、私が専門家として持っていた理解が変わりつつあります。