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相手を位置づけてしまうものとしての言葉

この前、医療関係者の方で、被災し、避難所などで、臨床心理士が「心のケア」をしている場面を遭遇した人の話を聞きました。

まず、一週間ごとに、緊急支援のカウンセラーがころころ入れ替わることに対する疑問を提示されました。人の関係性を、どのようにとらえているのかという疑問であると、私は理解しました。つまり、人とは、初対面の人がいきなり表れて、話せるようになるものなのかということです。心の専門家、対人関係を理解しているべき人たちが、このことについて、どのように理解しているのか、行動で示してしまったのではないでしょうか。

 

また、PTSDについてです。PTSDと診断すべき人たちが本当に少ないということでした。このPTSDに対する概念そのものが本当であれば、その方の判断がおかしいということになってしまいます。しかし、この点は私も同感で、人生を送ることが難しくなるようなPTSD症状を示している人に会うことはありません。これは、数年後に出てくるということですが、それも、今は、疑問視しています。

もしかしたら、限られた特殊なケースを多くの人間が流布させているために、その症例にボリュームがあるかのように感じてしまっているだけではないのだろうか。

この震災を期に、是非PTSDの概念そのものを見直して欲しいと切に願っているところです。1年後に読む資料の中にも、そのことに触れているものがかなりあります。

 

そして、やはり緊急支援カウンセラーとしてきたものが、「困ったことはありませんか?」「何か相談がありませんか?」と声かけることに対することに対して、大きな疑問があります。それは、その言葉かけが、相手の言葉を奪ってしまう可能性があるからです。そう言われると、話せなくなることが多々あるのです。

そう言われてから話さなければならないことは、「相談」であり、「問題」でなければならないということです。あのような極端な状況においては、何が相談になり、何が問題になり、何に困っているのかさえ、定かではなくなります。

また、カウンセリングを受けるものは弱いものであるかのような観念が広い中で、カウンセリングや相談を提供されているということで、自分はそのようなものを受けたくないという気持ちを大きくしてしまうのです。

 

震災にまつわる体験において、人は本当に多く語りたいのです。しかし、カウンセラーが「カウンセラー」という位置づけを変えず、相手を「クライアント」という位置づけを誘発する言葉かけをするとき、人は言葉を出せなくなるということです。その話を聞くことができるか、できないかは、相手次第なのではなく、私たちの姿勢と言葉かけなのだと思っています。

 

 

 

Tongariro National Park – NewZealand