【ナラティヴ・アプローチ】〈私〉の変化はどこから生まれるのか

〈私〉の変化はどこから生まれるのか
〜 元受刑者との対話から始まるナラティヴの世界~

『過去の時代の対話から生まれた意味はつねに来るべき未来の対話の展開のなかで変わっていく。それぞれ、その誕生の祝祭がある。 』

▼日時:2016年7月17日(日)

    10:00〜15:00
▼場所:勝どき駅付近
▼参加費:一般:8,000円
     早割:6,000円(6月末までにお支払い完了の方)
▼定員:30名
▼申込方法: http://peatix.com/event/177072

▼関連イベント
7月18日(月・祝)10:00〜18:00
『人と組織は、なぜ〈問題〉の共犯者になってしまうのか?
 〜 ナラティヴ・アプローチをビジネスに応用するWS 〜』
https://www.facebook.com/events/1073133236106897/

7月9日(土)・10日(日)9:30−16:30
『ナラティヴ・セラピー入門』
http://jicd.net/?page_id=212
※この会と両方を受講される方は、両方の参加費・受講料が2割引になります。
※詳細については、info@restorativecircles.jp までお問い合わせください。

▼概要:

ニュージーランドでナラティヴ・セラピーを学び、現地を拠点にしながらカウンセラーとして活躍している国重浩一さんをお招きし、ナラティヴ・アプローチの視点を取り入れた対話を企画しました。

ナラティヴ・セラピーは、私たちが「唯一のリアルな真実」だと信じてハマり込んでしまっている「ストーリー」から脱して、自分自身で新しい世界の捉え方を見つけ出す手助けをしてくれます。

私たちの「自己イメージ」は、私たち自身が単独で創り出したものだけではなく、「周りの人や社会が〈私〉をどのように見ているのか」という社会的合意も深く関わっている、とナラティヴでは考えます。

元受刑者とナラティヴ・セラピストの対話を通して、「〈私〉が変化する」ために、①「変化を望む本人として何ができるのか」そして、②「変化を望む本人に対してまわりの人には何ができるのか」を見つけていきたいと思います。

※後半に詳しい案内文があるので、ぜひ読んでください。

ナラティヴ・セラピーについて詳細に学びたい方は、7月9日(土)・10日(日)に開催される日本キャリア開発研究センター主催の以下の講座の受講をおすすめ致します。

7月9日(土)・10日(日)9:30−16:30
『ナラティヴ・セラピー入門』
http://jicd.net/?page_id=212
※この会と両方を受講される方は、両方の参加費・受講料が2割引になります。
※詳細については、info@restorativecircles.jp までお問い合わせください。

▼当日の流れ(目安):

10:00-10:20 オープニング/設備案内、過ごし方など
10:30-11:30 元受刑者とセラピストの対話
11:40-12:40 全体でのダイアローグ
12:40-13:40 昼休み
13:50-15:00 振り返り/ハーベスティング

▼講師:

国重浩一
ニュージーランド・ワイカト大学カウンセリング大学院修了
現在、ダイバーシティ・カウンセリング・ニュージーランド マネージャー
日本臨床心理士、ニュージーランド・カウンセラー協会会員
主著
 「ナラティヴ・セラピーの会話術」
 「震災被災地で心理援助職に何ができるのか」
訳書
 「サボタージュ・マニュアル」
 「ナラティヴ・アプローチの理論から実践まで」
 「ナラティヴ・メディエーション」
 「心理援助職のためのスーパービジョン」
 「ナラティヴ・セラピストになる」
 「精神病と統合失調症の新しい理解」など

▼案内人:

長田誠司
リストラティブ・サークルズ ジャパン 代表
つながりテクノロジー研究所 所長係

多種多様なトレーナーや先達にNVC(非暴力コミュニケーション)を学び、自身の人生上の対立や困難に適用するなかで、人間の感情や行動や影響力に対する理解を体験的に深める。BayNVC Leadership Program 2013, Findhorn Nonviolence Intensive 2014 などへの参加経験を通して、非暴力の思想や在り方についての学びをさらに深める。さらに、物語や語ることが世界を構成するという理論に基づいたナラティヴ・アプローチや私たちが意識的・無意識的に属しているさまざまなシステムの複雑性をそのままにして対立を扱うリストラティブ・サークルズの理論や手法を中心にして、様々なレベルの視点を持って、人間の内側と外側の両面から対立を捉え、対立のなかから新しい未来を創造していくことに興味を持っている。

▼詳細内容:

私たちは、常に変わり続ける可能性を持っています。
従って私たちはいつでも常に一時的な状態にいるにすぎません。しかし、ほとんどの場合私たちはこのことを忘れてしまい、自分自身とその世界に変化がもたらせないことにさえ気付かず、日常の中にいるかもしれません。

ナラティヴ・アプローチでは、私たちのアイデンティティは「私が私に対してする語り」「私が社会に対してする語り」「社会が私に対してする語り」によって複合的に構成されるという見方から「私」を観ていきます。

「社会が私に対してする語り」は、まるで変化など不可能のように強大な力をもって<私>に向かって推進し続け、私たちを巻き込んでいきます。内側に兆した変化を確信していても、他者の物語が<私>の変化を許さない時、私たちは自分の自己イメージを変えることが途轍もなく難しいことだと感じます。

それでも「私が私に対してする語り」や「私が社会に対してする語り」を丁寧に注目していくと、実は一見太刀打ち出来ない社会に対して無力の様に思える私たちは、本当はこの〈私〉を変えていく可能性に開いていて、常に変わり続けられる事に気づいてきます。

『私は、他者の目を通じて私自身を見る(1990)』とバフチンが言っているように、他者の眼に自分がどう映っているかを意識することで、はじめて人は自分自身を見ることができます。

つまり、周囲の人々が自分をどう見ているのかが、自分をどのように語るか、どのように自己を形成するかの重要な鍵になっているのです。

ぼく(長田)は先日、元受刑者と話す機会を得ることが出来ました。

刑を全うしたのだから「元」という形であれ「受刑者」という肩書を捨ててもいいのではないかという風潮もあり、もちろん気さくに接する人が少なからずいる一方で、社会は必ずしもそう見てはくれません。

過去の彼の体験のなかで「『受刑者』というイメージとは異なった彼のイメージに希望をいだいて接してくれた人の存在があったからこそ、今の自分がある」と感謝を抱いている一方で、本人さえも「今日も犯罪を侵さないで済んだ」と毎日胸を撫で下ろすと言います。

ぼく自身、話しを聴きながら、彼の内面に惚れ込んでいる自分がいる一方で、ふとした瞬間、彼の「元受刑者」という影に怯えている自分も何度か見つけました。

「元受刑者」という立場は、上記の話の延長として極端な例でもあり、しかし実のところ誰にとっても身近なテーマではないかと思うのです。

『私たちは、どのようにしたら変化できるのか?』
『変化を望んでいる人を、どのようにしたらサポートできるのか?』

ナラティヴ・セラピーでは、私たちという存在は問題にハマっている側面だけではなく、もっともっと豊かであるという見方をします。そして、私たちには皆、自分の人生を切り拓いて、生き抜いていける資質、資源、能力が必ずや存在しているということを絶対的に信頼しているという前提があります。

そのナラティヴを考え抜き、実践している国重浩一さんと共に対話をしていくことで、自分の望む生き方をしていくヒントを一緒に見つけてみませんか?

最後に、この会にぼくが抱いている希望の欠片として、もうひとつバフチンを引用したいと思います。

『言葉には始めも終わりもないし、対話のコンテキストは果てしがない……過ぎ去った、つまり過去の時代の対話から生まれた意味というのも、決して完結し固定したものではない。それらはつねに来るべき未来の対話の展開のなかで変わっていく……絶対的な死というものはない。意味というものにはそれぞれ、その誕生の祝祭がある。(バフチン, 1988, p.343) 』

協力:日本キャリア開発研究センター

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